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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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3390/3608

第287章 第3章:バッフルの死角(Clearing the Baffles)

『深淵の交戦規定』


【軍事戦術解説:バッフル(死角)の呪縛】

> (元米海軍潜水艦学校教官 トーマス・“パッチ”・ウィルソンの講義)

> 「諸君、潜水艦のソナーは『耳』だが、全方位聞こえるわけではない。最大の弱点は自分の後ろだ。

> 艦尾には巨大なスクリューがあり、そのキャビテーション・ノイズがソナーの聴力を奪う。さらに船体自体が前方の音を遮蔽する。この後方60度ほどの聴音不能領域を『バッフル(Baffles)』と呼ぶ。

> 敵潜水艦にとって、君のバッフルに入ることは、背後から銃を突きつけるのと同じだ。君は気づかないまま、魚雷を撃ち込まれることになる。

> だからこそ、我々は定期的に『バッフル・クリア』を行う。艦を蛇行させ、死角を覗き見るのだ。だが、それは同時に、曳航ソナー(テイル)を振り回し、自らの位置を暴露するリスクも孕んでいる」



>

1985年11月13日 02:20(現地時間)

バレンツ海

USS Cheyenne

深度: 650フィート 速力: 10ノット


「とんでもないカウボーイだ……」

発令所の空気は、死神とキスをした直後のような安堵と恐怖が入り混じっていた。

ヴィクターIII級原潜は、Cheyenne の頭上わずか数百メートルを高速で通過していった。その強烈な水流ウェイクが船体を揺さぶり、コーヒーカップが床で砕け散っていた。

「被害状況(Damage report)!」ライアン艦長が叫ぶ。

「機関室、異常なし。水密保持。ですが、曳航ソナー(TB-16)のケーブルに過度な張力がかかりました。断線は免れましたが、感度が低下しています」

「ソナー、目標ターゲットの状況は?」

ハルゼー兵曹長の声には焦りが滲んでいた。「ヴィクターは南へ離脱中。高速航行のためノイズまみれで、位置は明確です。……ですが艦長、問題は『タイフーン』です」


「見失ったか?」

「ヴィクターの爆音と、通過時の乱流ナックルで、低周波帯がかき消されました。現在、パッシブ・ソナーはホワイトアウト状態。タイフーンの反応、消失(Lost contact)」

ライアンはコンソールを叩いた。「やられたな。あの『狂犬』はただ吠えかかってきたわけじゃない。煙幕を張りやがったんだ」

ヴィクターIIIの突撃は、精緻に計算された陽動だった。その大騒音の裏で、タイフーンは推力を絞り、あるいはコースを変え、闇に溶け込んだのだ。

「副長、君ならどこへ逃げる?」

サリバン少佐は海図を指でなぞった。「北へ戻るか、あるいは東の沿岸部へ……いえ、彼らの目的は大西洋への突破です。だとしたら、ヴィクターの陰に隠れて追従しているか、あるいは……」


「あるいは、我々の『バッフル』に潜り込んだか」

ライアンの言葉に、発令所が静まり返る。

もし世界最大の潜水艦が、自分たちの真後ろに音もなく張り付いているとしたら? 考えるだけで背筋が凍る状況だ。

「ヴィクターを追うぞ。奴が護衛なら、必ず本隊の近くにいるはずだ。奴のバッフルに食らいつけ」



1985年11月13日 02:45

ソ連海軍 攻撃型原潜 ヴィクターIII K-324


「アメリカ艦、追尾してきます」

ソナー員が報告する。「距離8,000メートル。我々の航跡ウェイクをトレースしています」

ヴォルコフ艦長は、口髭についたウォッカの雫を拭った。「しつこい奴らだ。だが、予想通りだ。タイフーンを見失い、唯一の手がかりである我々にしがみつくしかない」

「艦長、どうしますか? 速度を上げて振り切りますか?」

「いや、それでは奴らがタイフーンの再捜索に戻ってしまう。我々が注意を引きつけ続ける必要がある」

ヴォルコフは潜望鏡のグリップを愛おしげに撫でた。「教育してやろう。『クレイジー・イワン(Crazy Ivan)』の時間だ」

「クレイジー・イワン」――西側諸国が恐れるソ連潜水艦の特異行動。

聴音不能な後方バッフルを確認するため、あるいは追尾者を振り払うために行う、予告なしの急旋回。巨大な潜水艦がドリフト走行のように海中で身をひるがえす。


もし追尾者が至近距離にいれば、衝突は避けられない。

「面舵一杯(Hard Right Rudder)! 機関、全速後進(All Back Full)!」

USS Cheyenne ソナー室

「目標のスクリュー音、急停止!」

ハルゼーが絶叫した。「キャビテーション消失! ……奴が来ます! バッフル・クリアです!」

それは、高速道路で前を走るトラックが、急ブレーキと同時に横向きになるようなものだ。

発令所

「取り舵一杯(Left Full Rudder)! 左舷機後進、右舷機前進!」

ライアンの反応は反射的だった。

相手が右に回るなら、こちらは左へ逃げ、外側に膨らむしかない。

「衝撃に備えろ!」


Cheyenne の巨体がきしむ。船体が急激に傾き、床が壁になる。

ソナーには、ヴィクターIIIが作り出した巨大な水のナックルが映し出される。それは音響上の「偽の潜水艦」のように振る舞い、魚雷のシーカーさえも騙す。

「衝突回避! 距離600ヤードで交差!」

冷や汗が流れる至近距離でのダンス。だが、これで終わりではなかった。

「ソナー、コンタクト報告!」ライアンが体勢を立て直しながら叫ぶ。

「ヴィクターは旋回を完了し、こちらを向いています! アクティブ打ちました! ……待ってください、新たな音源!」

ハルゼーの声が震える。


「ヴィクターの旋回ノイズが晴れた向こう側……方位0-1-0。非常に遠距離ですが、微弱な低周波。……タイフーンです!」

「見つけたか」

「奴ら、北へ向かっています! 海峡突破ルートではありません。氷の下……北極海の氷冠アイス・キャップへ向かっています!」



1985年11月13日 03:30

タイフーン級戦略原潜 Tk-208 "ドミトリー・ドンスコイ"


「アメリカ艦はヴィクターに釘付けです。今のうちに第2レイヤー(水温躍層)の下へ」

コルサコフ艦長は、静かに、しかし確実に艦を操っていた。

ヴィクターのヴォルコフが派手に暴れ回る闘牛士なら、自分たちは観客席の影を歩く暗殺者だ。

「氷の下に入れば、西側の哨戒機も手が出せない」副長が頷く。「しかし艦長、氷下航行は音響環境が最悪です。氷のきしみ(Ice noises)で、敵の接近に気づくのが遅れます」

「だからこそいいのだ」

コルサコフは海図上の「白い領域」――北極点周辺の氷海を指した。

「氷の轟音は、我々の巨体のノイズも隠してくれる。それに、あそこなら『アレ』を使う準備ができる」

彼はポケットに入っている、政治将校から渡された封印命令の重みを感じていた。

「深度変更。200メートル。北極海盆へ」



【ドキュメンタリー:氷の下の戦場】

(ナレーター)

潜水艦にとって、氷の下(Under Ice)は完全なる別世界である。

頭上を数メートルの厚さの氷が覆い、緊急浮上は不可能。氷山アイスバーグ底部キールが鍾乳石のように海中へ突き出し、衝突すれば即座に沈没につながる。

そして何より、氷が擦れ合う音は「100の工場の騒音」に匹敵し、ソナー員の耳を破壊し、精神を摩耗させる。

ライアン艦長は、タイフーンを追って、この「氷の迷宮」へ踏み込む決断を迫られていた。


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