第256章 「至近距離の殺戮:ビスマルク“崩壊”」
◆第7章 第5節(7-5)
――1941年5月27日 09:10。
北大西洋。
濁った朝の光。
海は重く、鉛色の雲が低く垂れ込め、
ビスマルクの黒い艦影は
“沈みかけた巨獣”のように揺れていた。
彼女は、既に動けない。
舵は死に、速度は落ち、
観測装置も破壊され、
上部構造の大半は炎と煙に包まれていた。
そして、その正面に
戦艦ロドニーが迫っていた。
距離――わずか3000m。
これは戦艦同士の砲戦では“異常”と呼ばれる距離だ。
もはや“砲撃戦”ではない。
それは
**“巨大な鉄槌による処刑”**であった。
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●ロドニー艦橋:射撃命令
艦長ダルリンは、
双眼鏡越しにビスマルクの崩れた上部構造を見つめていた。
マクレーン砲術長:
「距離3000!
偏差ほぼゼロ!
この距離なら――
敵装甲上部を“抜き通す”ことが可能です!!」
ダルリン艦長:
「狙うは艦橋上部、砲塔基部、後部司令塔……
乗員区画は極力避けろ。
だが――機関室は沈黙させろ。」
観測士官が緊張の声を上げる。
「敵艦、視界喪失で射撃能力ほぼゼロ……
彼らは、反撃不能です。」
艦長ダルリンの顔が
痛みと決意の間で硬直した。
「……撃て。」
ロドニーの16インチ砲が、
“至近距離用の低仰角”に下げられた。
ズガァァァァァン!!!!
甲板全体が震え、
鉄の構造物が軋みながら悲鳴を上げた。
九門の巨砲が、
ビスマルクの腹を殴りつけるように炸裂した。
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●ビスマルク艦橋:地獄の直撃
砲撃による衝撃は、
“衝突”という概念では表せなかった。
金属同士が悲鳴をあげて砕け合う音。
空気そのものが裂ける重圧。
甲板を突き抜ける轟音。
ビスマルク艦橋では
通信員が壁に叩きつけられた。
通信員:
「ぐっ――!!」
操舵兵ホフマンが手すりを掴む。
その顔は一瞬で蒼白になった。
ホフマン:
「艦橋左側――吹き飛んだ!!
上部装甲が……ありません!!」
副官:
「照準装置全滅!!
司令塔後部にも損傷!!
火が……火が回っています!!」
ビスマルクの装甲は
水平面には厚く強固だったが、
上部構造物は“近距離大口径弾”に弱い。
ロドニーの徹甲弾は
船体をまるで紙のように貫き、
内部で炸裂し、
燃料と油をまき散らして爆炎を起こす。
そして
“血の匂い”が艦橋に漂い始めた。
リュッチェンス提督は
冷静な声で言った。
「……もう艦橋も持たない。」
副官の顔が崩れた。
「提督……
も、もう……
沈むのですか……?」
リュッチェンス:
「いや……
この艦は、しばらく沈まん。
だが、“戦艦としての生命”は終わった。」
その声は、
巨大な鉄の死体を見つめる医師のようであった。
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●ロドニー:至近距離射撃の変質
観測員:
「命中多数!!
敵艦上部、崩壊しています!!」
マクレーン砲術長:
「砲塔基部へ照準修正。
敵の“主砲”を潰す。」
バウマン砲術士官は
砲塔内で汗まみれになりながら叫ぶ。
「X砲塔、装填急げ!!
次弾は“垂直貫通弾”でいく!!
距離が近い、抜けるぞ!!」
装填員たちは、
巨大な徹甲弾(約1225kg)を
レールに押し込み、
機械仕掛けのラマーで押し込む。
ガチャン!
閉鎖機が閉じられた瞬間――
ズガァァァン!!
X砲塔の射撃によって
砲塔内は閃光で満たされ、
続けて強烈な硝煙の匂いが充満した。
砲塔員の誰もが
「ここは地獄の門か?」
と思った。
だが弾は、確実に敵を殴りつけていた。
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●ビスマルク:砲塔の“死”
ドゴォォォォン!!!!
直撃。
第一主砲塔の基部が破壊され、
内部の装填機が吹き飛んだ。
炎が砲塔内部から噴き出す。
砲術士官アルベルト:
「冷却水系統死!!
装薬庫への火災接近!!
ただちに洪水注入!!
急げ!!」
部下たちは恐怖で手が震えていた。
「弾庫に火が入ったら、この艦は砕けるぞ!!
早くしろ!!」
しかし、
甲板はすでに傾き、
浸水が船体の奥で唸りを上げていた。
アルベルト(内心):
(もう……
“戦艦の機能”は……
何も残っていない……)
第二砲塔も
その数分後に
ロドニーの徹甲弾で貫かれた。
主砲は完全沈黙。
ビスマルクは
“巨大な標的”に成り果てた。
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●英巡洋艦隊:上部構造の破壊
ノーフォーク、サフォーク、ドーセットシャーの巡洋艦は
射程内に入りつつあった。
砲術長:
「敵艦上部へ連続射撃!
見える部位はすべて破壊!!」
副砲152mm弾が
ビスマルクの
通信室、測距塔、上部司令塔を
次々と粉砕する。
ビスマルク通信手:
「アンテナ全滅!!
後部通信室も破壊!!」
副官:
「もう……何も伝えられない……」
リュッチェンス:
「構わん。
誰にも伝える必要はない。」
その声は、
すでに“死者”の静けさを帯びていた。
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●ビスマルク船体中央:地獄の内部
浸水区画は急速に拡大していた。
本来、この艦は
浸水制御に優れた“区画構造”を持つ。
しかし――
・上部構造の火災
・弾薬庫周辺の爆風
・電源喪失
・送風機停止
これらが重なり、
内部は“灼熱・黒煙・海水・油の混合地獄”になっていた。
下士官ミューラーは
胸までの海水を掻き分けながら叫ぶ。
「この区画、持たねえぞ!!
隔壁が抜ける!!
急げ!!」
部下:
「通路が塞がってます!!
火が……火が……!!」
ミューラーは歯を食いしばる。
(俺たちは……
この艦と共に死ぬのか……?)
すでに“脱出”という選択肢はなかった。
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●ロドニー艦橋:
「最後の止めを刺す」
観測員:
「敵艦速度10ノット以下!
上部構造完全崩壊!
主砲、副砲ともに沈黙!!」
マクレーン砲術長:
「艦長……
このまま撃ち続ければ、
敵艦は……
“破壊され尽くします”。」
艦長ダルリンは
しばらく黙っていた。
その沈黙は、
“戦艦同士の誇り”を巡る葛藤だった。
ダルリン:
「……分かった。
射撃続行。
だが――
弾薬庫は狙うな。
“爆沈”は避けろ。
敵兵の死に様を……
選ばせてやれ。」
その言葉に
砲術長マクレーンは
静かに敬礼した。
「了解、艦長。」
ロドニーの砲撃は続く。
ただし、
沈黙した巨艦を“殺しすぎない”ように。
英国海軍の矜持だった。
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●ビスマルク艦橋:
「終わる艦の息」
リュッチェンス提督は
崩れ落ちた分厚い装甲片の上に立ち、
燃える海を眺めていた。
副官:
「……提督。
これ以上戦うのは……
無理です。」
リュッチェンスはうなずいた。
「分かっている。
だが我々は戦闘を“放棄”はしない。
ただ――
艦の死を受け入れるだけだ。」
副官は目を伏せた。
「乗員に……
乗員にどう伝えれば……」
リュッチェンス:
「伝える必要はない。
彼らは、もう分かっている。」
艦橋は、
炎と煙の向こうで崩れ続けていた。
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