第250章 「ビスマルク艦内:緊急整備“最終ライン”」
◆第6章・第14節(6-14)
――霧がわずかに後退しつつある頃。
ビスマルク内部の整備区画では、
かつてないほどの緊張が走っていた。
原因は、
機関振動の第三段階突入と、
魚雷回避に必要な“高レスポンス回頭”への備え
が同時に求められていることだった。
機関長アーレンス少佐が、
オイルまみれの手で
軸受温度の記録を確認する。
「……上昇が止まらん。
第三主機の温度、基準+14%。」
副機関士が声を潜めて言う。
「少佐、
回頭に備えて出力偏荷重を是正しなければ……
舵の応答が落ちます。」
アーレンスは短く言い放った。
「分かっている。
だが――舵が応えたところで、
主軸が焼き付けば全て終わりだ。」
整備員たちは
それぞれの工具と持ち場に散っていく。
蒸気の匂い、オイルの焦げた臭気、
鋼板と鋼材の擦れる音――
それらが交錯し、
艦内は“生き物の臓腑”のように脈動していた。
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●“回転制御班”の焦燥
魚雷回避で最も重要となるのは、
舵角+主軸出力変化の同期だ。
回転制御班のベック軍曹は、
複雑な計器群を前に
何度も深呼吸を繰り返していた。
部下の兵士が震え声で言う。
「軍曹、
もし敵雷撃隊が来たら……
いったい何回、
全力急転をやる必要があるんです?」
ベックは計器から目を離さず言った。
「最低五回。
多ければ十回。
そしてそのたびに――
この軸系が限界に近づく。」
兵士:
「……五回で限界、なんですか?」
「本来なら五回も許容していい設計じゃない。
だが現状は燃料タンクに偏りがある。
艦全体の重心が“正しくない”。
だから急転するたびに、
主軸と舵機に想定以上の負荷がかかる。」
兵士は真っ青になった。
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●前方弾薬庫:主砲戦の準備も同時進行
前方弾薬庫では、
砲術兵たちが黙々と
装薬と砲弾のチェックを続けていた。
古参砲兵ハインリッヒは
若い砲兵に低く言う。
「魚雷が来たら回頭する。
回頭したら姿勢が崩れる。
姿勢が崩れれば、
主砲射撃の初弾精度は落ちる。」
若い砲兵:
「じゃあ……どうすればいいんです?」
「砲は撃つ。
精度が落ちようと、撃つ。
撃てば敵が怯む。
怯めば、魚雷の投下精度も落ちる。」
その論理は乱暴だが、
現実的だった。
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●リンデマン艦長の静かな命令
艦橋から通信が入る。
「整備区画へ。
霧が開きつつある。
敵雷撃隊接近の可能性に備えよ。
全機関、即応状態に。」
アーレンス少佐は顔を上げた。
(来る……
いよいよ“本番”が来る。)
機関室の奥で、
巨大な鋼鉄の軸が唸りを上げた。
それはまるで
戦艦ビスマルク自身が
迫りくる嵐に備えて
“覚悟を決めた”かのようだった。
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