第243章 「ビスマルク機関区:振動“第三段階”への突入
◆第6章・第7節(6-7)
――ビスマルク内部、艦尾寄り機関室。
ここは、艦の“鼓動”が最も激しく響く場所だ。
霧の静寂とは対照的に、
この区画には休むことのない金属の唸りが満ちていた。
主任機関士アーレンス少佐が
振動計の針を睨みつける。
「……上がったな。」
部下の機関兵フェルスターが顔をしかめた。
「第二主機の横揺れ周期、
基準値から 0.12 度逸脱。
これ“第三段階”に入ってますよ。」
本来、ビスマルク級のタービンは
揺動を極限まで減らす設計が施されている。
しかし、
燃料漏れ → タンク偏在 → トリムの乱れ → 軸系に負荷
という悪循環により、
艦全体がわずかに“無理な姿勢”を続けていた。
アーレンス少佐:
「このまま荒天に入れば、
軸受の温度が跳ね上がる。」
フェルスター:
「ですが、速度は落とせません。
敵を振り切るには――」
「わかっている。」
少佐は短く遮った。
わかっていても、
“わかっている”だけでは機械は助からない。
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●艦内に広まる“ささやき”
この振動は、艦内のどこにいても伝わった。
食堂、弾薬庫、医務室、前部区画……
鋼鉄の巨体全体に、
くぐもった低周波の震えが走り続けている。
医務長カウフマン軍医が
腕を組んでつぶやいた。
「この振動、乗員の睡眠に悪影響が出る。
特に新兵たちは……
精神的な不安症状を訴え始めている。」
実際、
アーベントのような若い兵たちは
寝台で眠るたび、
“身体が落下する感覚”で目を覚ますようになっていた。
視界の霧、
艦内の振動、
そして敵の目が消えた静寂――
三つが重なり、
心理的ストレスは増幅されていた。
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●アーレンス少佐の決断
振動計がまたわずかに跳ね上がった。
「……くそ。」
少佐はついに言った。
「副長に報告する。
速度27ノットは危険域に入った。
これ以上は“軸を殺す”。
戦闘以前の問題だ。」
機関兵たちが不安げに顔を見合わせる。
フェルスター:
「しかし、少佐……
速度を落とせば、敵に追いつかれます。」
アーレンス少佐は
苦い笑みを浮かべた。
「速度を落とさなくても――
このままでは我々が自滅する。
敵に追いつかれる前に、
機関が壊れて止まってしまう。」
その言葉が、
機関室の誰の心にも刺さった。
ビスマルクの最大の敵は、
霧の向こうにいる英国艦隊だけではない。
艦の内部に潜む『疲労』そのものだった。
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