第242章 「英海軍インテリジェンス:“数学的追跡”の開始」
◆第6章・第6節(6-6)
――ロンドン、海軍省・作戦室。
霧による索敵網の崩壊を受け、
英国海軍は“第三の眼”――
数学的推定航路 を使うしかなくなっていた。
参謀長サー・ジョン・トーヴィーは
海図の前に立ち、静かに言った。
「……見失った。
ならば、こちらが“どこへ向かうべきか”を推測する。」
作戦参謀ウィリアム・マシューズ中佐が、
等時間曲線(等時線)と
風向・海流・霧帯の分布を組み合わせた
複雑な計算を机に広げる。
マシューズ:
「速度を27ノット、
燃料消費を考慮した場合は25ノット。
ビスマルクが“帰港を急ぐ”と仮定すれば――
進路は必ず南東寄りに偏る。」
通信参謀:
「つまり、あの霧はビスマルクに
“帰る理由”を与えたということか?」
マシューズ:
「霧は、敵を隠す。
しかし同時に“進むべき方向”も制約する。
霧の縁を避けたいなら、
最短距離でフランスを目指すはずだ。」
トーヴィーは頷いた。
「ビスマルクは、
霧の中をまっすぐ帰る。
リンデマンはそういう男だ。」
参謀の一人が反論した。
「しかし、敵は我々を欺くために
大きく西へ迂回する可能性も――」
トーヴィーは海図を指で叩いた。
「無い。
あの巨体で大回りをすれば、
燃料は持たん。
ビスマルクは負傷した獣だ。
傷を抱えたまま戦場の中央へ戻る真似はしない。」
作戦室が静まり返る。
推定進路は“南東”。
これは、最も単純で、
最も危険な答えだった。
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●“数学戦争”の始まり
英海軍参謀は、
ビスマルクの航跡を
速度 × 時間 × 霧の分布 × 敵の心理
という多変数の方程式として捉え始めていた。
レーダーが沈黙し、
空の偵察も不可能な中では、
人間の思考と計算だけが武器になる。
その時、通信室から声が上がる。
通信士:
「シェフィールドから状況通達。
『戦艦に接触できず』とのこと!」
トーヴィーは海図を見つめた。
「……ならば、“計算で追う”しかない。」
霧の中で姿を消した戦艦を、
英国は数学で追跡し始めた。
これは“電子戦”でも“空戦”でもない。
戦略参謀同士の頭脳の殴り合いだった。
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