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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第175章 ◆第2章《帝国の旗艦誕生》



― 就役から訓練航海(1940–1941)


【1】就役式 ― リンデマン艦長の沈黙


 1940年8月24日、キール。

 新造艦戦艦ビスマルクの就役式は、軍楽隊の金管音が甲板から広がる中で始まった。

 艦橋に立つ男――エルンスト・リンデマン艦長は、胸に手を当てながら敬礼し、その眼差しは鋼鉄の巨影を“国家の象徴”としてではなく、“責任としての兵器”として見つめていた。


 リンデマンは、奇妙な感覚に囚われていた。

 艦は巨大で、美しく、そして危うい。


「この艦は強大だ。しかし、それゆえ“脆弱な一点”がある。

 巨艦とは常に、運命を抱え込む。」


 彼は主砲塔の角度、艦首の傾斜、艦尾の舵機構を無意識に見てしまう。

 “あの部分が弱点になる”という予感は、後に現実となる。


【2】初乗り込み ― 士官候補生の視点


 士官候補生のカール=メルテンは、艦内の複雑な区画構造に圧倒されていた。

 艦首区画から艦尾まで、直線距離で250mを歩くだけで20分はかかる。

 配管、電線、通風路、非常用通路……迷宮そのものだった。


 彼のメモにはこうある。


・居住区は意外と狭い

・防御区画は分厚いが、補機室は狭苦しい

・艦内通信は迅速だが、乗員数は多く動線が過密

・“巨大すぎる艦は、内部で完結しない”


 メルテンは、この艦が戦場で被弾した時の“連鎖的な故障”を想像し、言いようのない不安に襲われた。


 のちのデンマーク海峡での“浸水による燃料混入”は、まさにこの懸念を裏付けることになる。


【3】砲術長の訓練 ― “38cm主砲の傲慢さと繊細さ”


 ビスマルクの主砲――38cm SK C/34。

 その威力は絶大だったが、砲術長アドルフ・ポールはその“繊細さ”を最も理解していた。


 訓練海域での初射撃。

 巨砲が火を噴いた瞬間、艦体が揺れ、甲板上の全員の膝が震えた。


 しかし、問題はそこではない。


 主砲は装薬温度、湿度、砲身磨耗、初速変動に極めて敏感で、

 遠距離射撃では散布界が不安定になりやすかった。


「巨砲は“豪腕”ではない。

 むしろ、気難しい貴族のようなものだ」


 ポールは射撃報告に、淡々とした筆致で記した。

•18km:散布界やや拡大

•20km:命中精度の急落

•海面反射の乱れが観測誤差を増大


 のちの“フッド戦”で、

 ビスマルクがわずかな距離変動の中で“完璧な一撃”を放てたのは、

 この長期間の訓練データがあったためである。


【4】航海長の懸念 ― 北海の“振動”


 航海長エーリッヒ・グレーネルトは、艦の“振動”に異様な神経質さを見せていた。

 ビスマルクは強固な装甲を誇ったが、巨艦ゆえ、長波の海況に弱いという特性があった。


 特に問題は前部の“上下動”。

 北海の荒波で艦首が上下する際、艦体の中ほどのフレームに想定以上の負荷がかかる。


「この艦は、海に抵抗して進む城だ。

 しかし海は、城を揺らして壊す。」


 グレーネルトは訓練航海の航海日誌に、こう書き残した。

•前部二重底への応力が大きい

•スクリュー振動が船体後部に共鳴

•荒天時、操舵室の揺れが増大


 この“微妙な揺れ”は後に、ソードフィッシュ雷撃で舵を失った際、

 操船が完全不能になる構造的理由となる。


【5】機関科 ― 加速力の狂気と恐怖


 機関科の整備士たちが最も誇りにしていたのは、

 三軸推進の高出力蒸気タービンだった。

 最大150,000馬力。

 全速をかけたときの加速は、巨艦とは思えないほど鋭かった。


 しかし、それは“危険と紙一重”だった。


 工程主任のウェーバー機関大尉が言う。


「機関は優秀だ。だが、“優秀すぎる機関”というものが存在する。

 一度全力を出せば、重量と推進力のバランスが崩れる。」


 実際、全速航行時には――

•船体中央のフレームが軋む

•タービン温度が急上昇

•冷却水流量がギリギリ

•振動で機関室の計器が読みづらい


 そして機関科の最大の恐怖は、

 被弾したときの機関区画浸水だった。


 浸水と油漏れは混ざり合い、

 やがて“全区画への汚損”を引き起こす。


 のちにビスマルクが“燃料漏れで発見された”事件は、

 ここで指摘された条件がそのまま再現されたものである。


【6】給糧艦隊司令部 ― “補給なくして作戦なし”


 ビスマルクの運用には、**給糧艦(タンカー・補給船)**の存在が不可欠だった。

 しかしこの補給体系は、1941年当時のドイツ海軍最大の弱点でもあった。


 給糧艦隊司令ルドルフ・ホフマンは情勢報告で、こう警告している。


「戦艦ビスマルクは強力だ。

 だが、その燃料消費量はUボート10隻分に匹敵する。」


 司令部の議論は深刻だった。

•北大西洋には友軍の港なし

•航空優勢は英国

•補給船は常に発見のリスク

•一度“追跡状態”になれば作戦中止


 この状況で「ライン演習」を強行するのは、

 戦略的には危険すぎた。


 しかしレーダー提督は言った。


「英国を屈服させるには、輸送路を叩くほかない。

 その象徴がビスマルクだ。」


 ここに、ドイツ海軍の“焦燥と過信”があった。


【7】試験航海の終わり ― リンデマンの確信


 1941年3月。

 訓練航海が完了し、ビスマルクは一応の“実戦能力”を獲得した。


 夜の艦橋で、リンデマン艦長は北海の暗闇を眺めながら、静かに呟く。


「この艦は強い。だが、強い艦ほど“脆い運命”を背負う。

 我々は、戦略的には孤立している。」


 彼の脳裏には、訓練中に浮上した数々の弱点がよぎる。

•燃料配管の脆さ

•甲板装甲の角度

•舵の完全防護不足

•巨体ゆえの被弾時の制御不能リスク

•補給網の脆弱さ

•英海軍のレーダー優位


 艦長は、静かに確信した。


「この艦は、ただの“巨大な剣”ではない。

 扱いを誤れば、“帝国の棺”になる。」


 しかしその予感は、誰にも言わなかった。

 兵士の士気を削るだけだからだ。


【8】全員の視点が交錯する ― “出撃前夜”への伏線


 訓練航海が終わったビスマルクは、

 やがて旗艦として“ライン演習作戦”へ向かう。


 だが、艦内のあらゆる専門家は、どこか胸騒ぎを覚えていた。

•技師:振動

•航海長:波浪の影響

•砲術長:散布界

•機関科:冷却能力

•司令部:補給の脆弱性

•艦長:戦略的孤立


 彼らの不安は、まるで“見えない霧”のように艦を包んでいた。


 のちのデンマーク海峡での戦闘、

 そしてソードフィッシュの雷撃による舵損傷――


 そのすべての“運命の伏線”は、

 すでにこの訓練期間中に揃っていたのである。


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