第175章 ◆第2章《帝国の旗艦誕生》
― 就役から訓練航海(1940–1941)
【1】就役式 ― リンデマン艦長の沈黙
1940年8月24日、キール。
新造艦戦艦ビスマルクの就役式は、軍楽隊の金管音が甲板から広がる中で始まった。
艦橋に立つ男――エルンスト・リンデマン艦長は、胸に手を当てながら敬礼し、その眼差しは鋼鉄の巨影を“国家の象徴”としてではなく、“責任としての兵器”として見つめていた。
リンデマンは、奇妙な感覚に囚われていた。
艦は巨大で、美しく、そして危うい。
「この艦は強大だ。しかし、それゆえ“脆弱な一点”がある。
巨艦とは常に、運命を抱え込む。」
彼は主砲塔の角度、艦首の傾斜、艦尾の舵機構を無意識に見てしまう。
“あの部分が弱点になる”という予感は、後に現実となる。
【2】初乗り込み ― 士官候補生の視点
士官候補生のカール=メルテンは、艦内の複雑な区画構造に圧倒されていた。
艦首区画から艦尾まで、直線距離で250mを歩くだけで20分はかかる。
配管、電線、通風路、非常用通路……迷宮そのものだった。
彼のメモにはこうある。
・居住区は意外と狭い
・防御区画は分厚いが、補機室は狭苦しい
・艦内通信は迅速だが、乗員数は多く動線が過密
・“巨大すぎる艦は、内部で完結しない”
メルテンは、この艦が戦場で被弾した時の“連鎖的な故障”を想像し、言いようのない不安に襲われた。
のちのデンマーク海峡での“浸水による燃料混入”は、まさにこの懸念を裏付けることになる。
【3】砲術長の訓練 ― “38cm主砲の傲慢さと繊細さ”
ビスマルクの主砲――38cm SK C/34。
その威力は絶大だったが、砲術長アドルフ・ポールはその“繊細さ”を最も理解していた。
訓練海域での初射撃。
巨砲が火を噴いた瞬間、艦体が揺れ、甲板上の全員の膝が震えた。
しかし、問題はそこではない。
主砲は装薬温度、湿度、砲身磨耗、初速変動に極めて敏感で、
遠距離射撃では散布界が不安定になりやすかった。
「巨砲は“豪腕”ではない。
むしろ、気難しい貴族のようなものだ」
ポールは射撃報告に、淡々とした筆致で記した。
•18km:散布界やや拡大
•20km:命中精度の急落
•海面反射の乱れが観測誤差を増大
のちの“フッド戦”で、
ビスマルクがわずかな距離変動の中で“完璧な一撃”を放てたのは、
この長期間の訓練データがあったためである。
【4】航海長の懸念 ― 北海の“振動”
航海長エーリッヒ・グレーネルトは、艦の“振動”に異様な神経質さを見せていた。
ビスマルクは強固な装甲を誇ったが、巨艦ゆえ、長波の海況に弱いという特性があった。
特に問題は前部の“上下動”。
北海の荒波で艦首が上下する際、艦体の中ほどのフレームに想定以上の負荷がかかる。
「この艦は、海に抵抗して進む城だ。
しかし海は、城を揺らして壊す。」
グレーネルトは訓練航海の航海日誌に、こう書き残した。
•前部二重底への応力が大きい
•スクリュー振動が船体後部に共鳴
•荒天時、操舵室の揺れが増大
この“微妙な揺れ”は後に、ソードフィッシュ雷撃で舵を失った際、
操船が完全不能になる構造的理由となる。
【5】機関科 ― 加速力の狂気と恐怖
機関科の整備士たちが最も誇りにしていたのは、
三軸推進の高出力蒸気タービンだった。
最大150,000馬力。
全速をかけたときの加速は、巨艦とは思えないほど鋭かった。
しかし、それは“危険と紙一重”だった。
工程主任のウェーバー機関大尉が言う。
「機関は優秀だ。だが、“優秀すぎる機関”というものが存在する。
一度全力を出せば、重量と推進力のバランスが崩れる。」
実際、全速航行時には――
•船体中央のフレームが軋む
•タービン温度が急上昇
•冷却水流量がギリギリ
•振動で機関室の計器が読みづらい
そして機関科の最大の恐怖は、
被弾したときの機関区画浸水だった。
浸水と油漏れは混ざり合い、
やがて“全区画への汚損”を引き起こす。
のちにビスマルクが“燃料漏れで発見された”事件は、
ここで指摘された条件がそのまま再現されたものである。
【6】給糧艦隊司令部 ― “補給なくして作戦なし”
ビスマルクの運用には、**給糧艦(タンカー・補給船)**の存在が不可欠だった。
しかしこの補給体系は、1941年当時のドイツ海軍最大の弱点でもあった。
給糧艦隊司令ルドルフ・ホフマンは情勢報告で、こう警告している。
「戦艦ビスマルクは強力だ。
だが、その燃料消費量はUボート10隻分に匹敵する。」
司令部の議論は深刻だった。
•北大西洋には友軍の港なし
•航空優勢は英国
•補給船は常に発見のリスク
•一度“追跡状態”になれば作戦中止
この状況で「ライン演習」を強行するのは、
戦略的には危険すぎた。
しかしレーダー提督は言った。
「英国を屈服させるには、輸送路を叩くほかない。
その象徴がビスマルクだ。」
ここに、ドイツ海軍の“焦燥と過信”があった。
【7】試験航海の終わり ― リンデマンの確信
1941年3月。
訓練航海が完了し、ビスマルクは一応の“実戦能力”を獲得した。
夜の艦橋で、リンデマン艦長は北海の暗闇を眺めながら、静かに呟く。
「この艦は強い。だが、強い艦ほど“脆い運命”を背負う。
我々は、戦略的には孤立している。」
彼の脳裏には、訓練中に浮上した数々の弱点がよぎる。
•燃料配管の脆さ
•甲板装甲の角度
•舵の完全防護不足
•巨体ゆえの被弾時の制御不能リスク
•補給網の脆弱さ
•英海軍のレーダー優位
艦長は、静かに確信した。
「この艦は、ただの“巨大な剣”ではない。
扱いを誤れば、“帝国の棺”になる。」
しかしその予感は、誰にも言わなかった。
兵士の士気を削るだけだからだ。
【8】全員の視点が交錯する ― “出撃前夜”への伏線
訓練航海が終わったビスマルクは、
やがて旗艦として“ライン演習作戦”へ向かう。
だが、艦内のあらゆる専門家は、どこか胸騒ぎを覚えていた。
•技師:振動
•航海長:波浪の影響
•砲術長:散布界
•機関科:冷却能力
•司令部:補給の脆弱性
•艦長:戦略的孤立
彼らの不安は、まるで“見えない霧”のように艦を包んでいた。
のちのデンマーク海峡での戦闘、
そしてソードフィッシュの雷撃による舵損傷――
そのすべての“運命の伏線”は、
すでにこの訓練期間中に揃っていたのである。




