第111章 「ガウガメラ会戦:史上最大のマルチカメラ中継」
――前331年・帝国の命運と放送業界の意地がぶつかる――
まだ夜が明けきらない、薄灰の空。
その下に、あり得ない光景が広がっていた。
平原一面に、数万の兵士。
槍が林立し、騎兵が整列し、数百の戦車、そのさらに向こうに戦象の影。
古代史上最大級の陣形が、夜の名残を吸い込むように沈黙している。
そこに、テレビクルー――
つまり私たちは立っていた。
野本は震える息を整え、カメラに向けて話し始めた。
「……視聴者の皆さん。こちら、ガウガメラ平原です。
本日は、古代史最大級の決戦――“アレクサンドロス vs ダレイオス3世”
その瞬間を、世界中継でお伝えします」
富山
「野本さん、“世界中継”のスケールが史実的におかしいっすよ……いや俺たちが原因なんだけど……」
亀山(音声)
「風が強いわねぇ。はい、マイクは大丈夫よ」
小宮部長
「今日の撮影、絶対手を抜かないわよ! “歴史的決戦”よ⁉
美術的クオリティを最高にして、史上初の放送にするの!」
富山
「部長、戦争をアート化しないでください……!」
平原に並ぶマケドニア軍。
ファランクスの槍先が、朝日に照らされて氷のように光る。
対するは、遥か彼方まで続くペルシア軍。
騎兵、戦車、戦象、そして無数の雑兵。
まるで“生きた大陸”が向き合っているようだった。
野本は息を呑む。
「……これが……世界帝国の“総力”……」
亀山は頷く。
「人が集まると、こうなるのよ。
戦争って、結局“どれだけ人を動かせるか”だから」
富山
「さらっと怖いこと言う……!」
その時、橋本副部長が巨大な中継機材の前で手を叙した。
「全ドローン、起動完了。
本日は――
俯瞰ドローン(広範囲撮影)
近接ドローン(騎兵追跡)
皇帝ドローン(ダレイオス3世固定カメラ)
右翼ドローン(アレクサンドロスの突入予測ライン)
の4点同時中継を行います」
富山
「副部長……現代でもやらないんですよこんな規模……!」
野本
「ていうか、皇帝を固定で撮るって倫理的にどうなんですか?」
亀山
「皇帝なんて逃げたらすぐ分かるんだから、固定でいいのよ」
「逃げる前提なんですね!?」
スタジオにも中継が入る。
山田
「こちらスタジオです! 映像が……ええと……すごいです……!」
重子
「“すごい”で片づけてはだめですよ。
これは史上最大の“多民族動員”による帝国軍です。
ペルシアの人口動員力は、この時点で世界最強ですからね」
山田
「重子さん……言ってる言葉の重さが、放送にそぐわないんですが……」
重子
「歴史ですから」
山田
「歴史って何なんだ……」
アレクサンドロスの陣営の方角で、旗が揺れた。
富山
「おっ、動くぞ……」
野本
「アレクサンドロス……出てきた……!」
アレクサンドロスは、例の“青いマント”を揺らしながら馬に乗り、
ゆっくりと前線に向かって進む。
その姿を見ただけで、周囲の兵士たちの士気が変わるのが分かった。
重子
「あの姿勢の良さは、戦場仕様ですね。
彼は“見られる王”を意識しているんです」
山田
「見られる王……?」
重子
「敵にも、味方にも、そして未来にも“見られる”――
だから彼は前線にいるんですよ」
山田
「現代の経営者、全員に聞かせたい……!」
その時だった。
轟音。
大地を引き裂くような音が、平原全体を震わせた。
ズドドドドドォォォ!!
ペルシア軍の戦象部隊が進み始めた。
象の背には射手と槍兵が乗り、突進と同時に攻撃を開始する。
野本
「うわっ……でかっ……! 本当に象だ……!」
富山
「やべぇ……あれは生きた戦車っすよ……」
亀山
「象って、怒ると怖いのよ」
富山
「いや“森の知識”みたいに言うなぁ!」
続いて、ペルシアの戦車部隊が一斉に駆けた。
車輪の横に刃がつき、
走るたびに地面を削り、火花を散らす。
橋本副部長
「ドローン2号、戦車隊を追います」
野本
「副部長、本当に追えるの……!?」
「はい。危険ですが、追えます。
現代のジャーナリズムは“危険を追う”ところに存在価値があるので」
富山
「副部長、熱いこと言ってるけど、今古代戦場ですよ!?」
だが――
アレクサンドロス軍も動いた。
右翼の騎兵隊と彼自身が、
完全な“斜め前進”で敵陣に向かう。
野本
「えっ……なんで“斜め”なんですか!?」
重子
「あれは“斜行前進”と呼ばれる戦術です。
ペルシア軍の中央を突かず、右翼の一点を破りつつ敵の包囲を防ぐ意図です。
最適解です」
山田
「最適解!?」
アレクサンドロスが槍を掲げた。
その瞬間――
騎兵が疾走した。
右へ。
さらに右へ。
アレクサンドロスの馬が空気を裂き、敵陣の“柔らかい部分”を狙って突っ込む。
富山
「うおおおおお……! あれが“世界史の突破”か……!」
野本
「いや、ちょっと速すぎて目で追えない……」
亀山
「速い馬って、ほんと速いのよ」
富山
「だから経験者みたいに言うなって!!」
そして、運命の瞬間。
橋本副部長
「皇帝馬車、挙動変化。
ダレイオス3世、後退を開始しました」
野本
「後退!? もう!? まだ中央で戦ってるのに!?」
富山
「いやこれ本当に逃げてますよ……!?」
小宮部長
「カメラ追って! 皇帝の“表情”が欲しいのよ!」
「表情って何撮るんですか!?」
ドローン3号が馬車の後方へ回り込み、
ダレイオスの横顔を捉える。
その顔には――
恐怖が浮かんでいた。
重子
「これが“帝国の失速”です。
王が退けば、帝国も崩れます」
山田
「歴史……重すぎません!?」
ペルシア軍が総崩れを始める。
戦象は暴走し、
戦車は道を失い、
歩兵は士気を失って逃げ惑う。
富山
「うわ……すげぇ……“戦場が壊れていく”……!」
野本は、声を震わせながら呟いた。
「……戦争って……勝つ瞬間より、“壊れる瞬間”のほうが……
ずっと、静かなんですね……」
亀山
「そうよ。人は静かに負けるの」
富山
「その哲学的なまとめやめて……!」
アレクサンドロスはなおも前進し、
敵陣の奥へ奥へと突き進んでいる。
しかし、テレビクルーの位置まで戻ってくる気配はない。
野本
「あの人……どこまで突っ込む気なんですか……!?」
重子
「彼は、敵の“心臓”を狙わないと気が済まないタイプです。
性格的にも、戦術的にも」
山田
「そんな性格的理由で突っ込まないで……!」
戦場が完全に沈黙した後、
砂塵の中で野本はマイクを握った。
「――以上で、“ガウガメラ会戦”の中継を終了します。
ここは……いま、歴史が“ひっくり返った”場所です。
そしてその瞬間に……私たちは立ち会ってしまいました」
富山
「野本さん……今日のまとめ、かっこいいっすよ……!」
亀山
「あなた、成長したわねぇ……」
小宮部長
「さて、次はいよいよ“アレクサンドロスの死”よ。
バビロン入りの準備よろしく!」
全員
「よろしくじゃなぁぁぁあい!!!!」
戦場に響くテレビクルーの絶叫は、
歴史の轟音に飲まれながらも、妙に明るかった。




