第109章 「イッソス会戦:皇帝ダレイオスを追うドローン」
――前333年・急峻な峡谷で“歴史の逃走劇”が始まる――
前334年のグラニコス川から一年。
私たちは、またしても“前333年の地中海東岸”にいた。
場所はイッソス平原……だが、その実態は“平原と言いつつほぼ峡谷”である。
野本の足元には、大小さまざまな岩が転がり、風は乾いて熱い。
どう考えても、テレビスタッフが走り回る土地ではない。
「えー……視聴者の皆さま。本日は“イッソス会戦”の現場から、生中継をお送りします」
カメラを抱え直しながら、富山が苦い顔をする。
「野本さん、さっきから“今日も戦争かぁ……”って顔してるけど、もう少しシャキッと」
「いや、シャキッととか言われても……前回、槍が私の横に刺さったの覚えてます?」
「覚えてますよ。あれ、地上波的に最高の絵でした」
「富山さん、さらっとひどい!」
そこへ、タブレット(時空転移でもなぜか動く)を片手に、小宮部長が近づく。
「今日は勝負よ。
“世界史最大級の皇帝逃走シーン”が撮れるかもしれないんだから」
「逃走前提なんですか!?」
「史実よ、史実」
美術肌の女性ディレクターは、戦争でさえ“素材”として扱うプロ根性を曲げない。
丘の上で、ドローンを整備していた橋本副部長が手を挙げた。
「全体調整完了。ドローン3機、飛行準備いいです」
「3機!?」
野本が驚く。
前回より増えている。
「今回は大規模戦なので、俯瞰撮影+接写+バックアップで3機体制にしました」
「副部長……その冷静さ、尊敬しますけど……戦場なんですよ……?」
「戦場だからこそ、マルチカメラです」
言ってる意味は正しいが、状況に対して精神が強すぎる。
その時、地鳴りがした。
ズズズズズズ……!
峡谷の先で、砂煙が上がり、青銅の光が点滅している。
亀山が耳を澄ませた。
「馬の数……相当ね。あれだけの蹄の音が重なると、地震みたいになるのよ」
「亀山さん、何でそんな経験者みたいなんです……?」
「昔、お祭りで神輿が走る音が似てたのよ」
戦場を“お祭り”比喩で語る中年女性の強さ。
やがて砂煙が薄れ、姿が現れた。
――ペルシア軍だ。
輝く鎧。
煌びやかな馬車。
軍旗が風に翻り、陽光を反射して金色に光る。
富山「おおお……数が桁違い……!」
野本「“美しさで殴ってくる軍隊”ってこういうことですか……?」
亀山「そりゃ帝国だもの。財政規模が違うわよ」
小宮部長がメモを取りながら言う。
「馬車の金装飾……美しい……あれは絶対ズームだわ」
「部長、アート目線はほどほどに……」
その中心に、美しい馬車があった。
金の飾り、深紅の布。
車輪の周りには護衛の兵士たち。
橋本副部長「ドローン1号、皇帝エリアにズームします」
富山「皇帝エリアって……ダレイオス本人ってこと!?」
野本「うわっ……本当にいる……!」
そう、そこには――
この巨大帝国の王、ダレイオス3世がいた。
まだ若い。
威厳こそあるが、目に緊張が宿る。
山田
「これが……あのダレイオス3世……!?」
重子
「はい。史料だと“気品ある美貌”とされてますね。
ただし戦争になると、とても忙しい人です」
山田「忙しい……?」
重子「逃げるので」
山田「逃げるって言っちゃった!?」
峡谷の反対側、少し低地になった場所に、
青いマントが揺れた。
アレクサンドロスだ。
富山「うわ、アレクサンドロスまた最前線ですよ!」
野本「普通に考えて、王様がここにいるのが一番危険ですよね?」
亀山「そうよ。彼、何回も傷だらけになってるから」
小宮部長「傷の跡まで綺麗に撮れないかしら……?」
「撮れません!」
戦場は、空気が張り詰めたゴムのように静まり……
次の瞬間、破裂した。
「――っ来る!」
アレクサンドロス騎兵が、川を越えて突っ込んだ。
槍が陽光を裂き、馬が岩を砕く。
富山「ぎゃー! これ、近い近い近い!!」
亀山「落ち着きなさい。はい、野本さん、声出して!」
野本「えっ!? えぇっと……!
ただいま、アレクサンドロス軍が……中央突破を開始しました……!
馬の脚、速い速い速い……!」
富山「実況が“速い”連呼だ……!」
橋本副部長の声が入る。
「ドローン1号、アレクサンドロス騎兵を追跡。2号はペルシア戦車群へ。3号は皇帝馬車を固定。」
野本「まさか古代戦争で“ドローン三点撮影”を見ることになるとは……」
富山「全世界初ですよ……」
突然、地面に衝撃。
ドドドドドッ!
ペルシアの戦車部隊が、
巨大な轍を描いて突撃してきた。
馬たちの装甲には刃がついており、走るたびに地面を刻む。
富山「やばいやばいやばい、あれ刃ついてるじゃん!?」
亀山「刃がついてるから危ないのよ」
富山「当たり前のこと言わないで!」
野本は震えながら、声を絞る。
「ペルシア戦車……これは……“質量と速度で人間を轢き殺す”武器……」
重子
「野本さん、正しいです。刃付き戦車は、古代で最も恐れられた兵器のひとつ」
山田
「冷静な解説……! え、怖……!」
その時、ドローン3号の映像がスタジオに切り替わる。
――皇帝ダレイオスの馬車だ。
彼は立ち上がり、何かを叫んでいた。
富山「うわ……皇帝、焦ってますよ!」
野本「……部長、これ撮ってどうするんですか……」
小宮部長「“焦る皇帝”なんて歴史的に超レアよ! もっと寄せて!」
橋本副部長が操作を細かく入れる。
野本「寄せるんだ……!」
そして――
アレクサンドロス騎兵が、
中央でペルシア軍を割った。
重子
「あ……突破しましたね……これ、皇帝側が危険です」
山田
「え、危険って……具体的には?」
重子
「ここから“皇帝逃走コース”が始まります」
山田
「はっきり言った!?」
その瞬間――
ダレイオス3世の馬車が動いた。
一気に反転し、谷の出口へ向けて疾走する。
富山「うわ逃げた!! 皇帝、全力逃走!!」
野本「あ、あの……これ中継していいんですか!? 帝国最高権力者の退却ですよ!?」
亀山「いいのよ。どうせ史書にも書かれるんだから」
小宮部長「ズーム! ズームよ富山くん!」
「僕じゃなくて副部長の仕事です!」
ドローンが皇帝馬車を追う。
“逃走劇”は、風を切りながら進む馬車の後ろ姿と、
その前で戦況が崩れ落ちていく様子を鮮烈に映し出した。
やがて、ペルシア軍は総崩れとなった。
谷に響く悲鳴。
崩れた部隊。
負傷した兵士たち。
野本は、しばらく言葉を紡げずにいた。
「……思ってたより……戦争って、“崩れ落ちる音”なんですね……」
富山「……野本さんまた詩人モードに……」
亀山「でも、わかるわ。戦争は“砕ける形”が大事なの」
小宮部長「崩れ落ちる瞬間のカット、保存するわ」
「保存すんな!」
中継を終えたあと、丘の下で野本は膝をついた。
「……皇帝が逃げるのって、こんなにも……“人間”なんですね……」
富山が軽く肩を叩く。
「ま、どんな権力者でも、怖いもんは怖いっすよ」
亀山が頷く。
「だから人は逃げるの。生きるためにね」
その言葉だけは、時代も戦場も超えて響いた。
そして、小宮部長が一言。
「さ、次はティルスの攻囲戦よ。海の上の“超巨大要塞”。
準備よろしく!」
全員
「だから“よろしく”じゃないーーーー!!」
砂埃の中、クルーの絶望と覚悟が混ざり合って響いた。




