第71章 落胆
呉造船所・午前10時
鋼鉄の匂いと油の煙が漂う造船所の休憩室に、ひとりの若い整備員が週刊誌を持ち込んだ。
ページを開くと、赤い見出しが飛び込んでくる。
「台湾侵攻、半年後に迫るXデー」
米・日本政府中枢、極秘警戒態勢に突入
机を囲んだ数人の技師が顔を見合わせた。
「半年……? 計画はあと1年半かけて完成させる予定じゃなかったか」
「そうだ。艦橋構造の改修、電源系統の更新、全部合わせれば最低でもあと18か月は必要だ」
その場に重い沈黙が落ちる。
誰も声を荒らさない。だが、全員の頭の中で同じ計算式が回っていた——間に合わない。
艦内作業区画
大和の艦内では、作業服姿の昭和生まれの乗員と令和の海自士官が混じり、甲板補強工事に取り組んでいた。
作業中に渡された週刊誌を、元砲術長の仁志兵曹長が黙って読み込む。
「半年だと……? この工事の進み具合でか?」
横にいた海自工廠の主任士官が、工具を置いて答える。
「正直に言えば——無理です。2年計画を半年に縮めるのは、現場の安全基準を全部捨てることになる」
仁志は唇を噛んだ。
「戦というのは、そういうもんじゃないのか」
主任士官は視線を逸らした。
呉市街・喫茶店
昼下がり、テレビが週刊誌報道を後追いする。
「台湾有事、半年以内の可能性」というテロップが、軽快なBGMとともに流れる。
カウンターの端でコーヒーを啜る造船所の田島技監は、スプーンを持つ手を止めた。
2年間の工程表が頭に浮かぶ。
艦橋、兵装、センサー、推進系統——一つでも間に合わなければ全体が完成しない。
「……やってられるか」
小さな声がカップの中に消えた。
造船所・夕方の会議室
緊急会議が開かれた。
机上にはこれまでの進捗表と、真っ赤に修正された「半年以内」の新工程表。
必要な工期の半分が、赤い線で無惨に消されていた。
所長が言った。
「このペースでやれば、船は出せるかもしれん。だが“再武装”ではなく、ただの急造艦になる」
田島は机の端を握りしめた。
「俺たちは大和を、急造のハリボテにするためにやってきたわけじゃない」
会議室の空気が凍った。
その沈黙こそが、この街の落胆そのものだった。