第45章 江田島 講義 研究講座後の中庭
(潮の音が遠くでかすかに響く。月は中天。戦術講義を終えた後の沈黙の余韻を破ったのは、若い候補生の声だった)
幹部候補生・川崎3尉補(22)
「正直、思ったんです。大和って……“象徴”って何なんですかね? 本当にそれって、今の僕らに必要なんでしょうか?」
旧乗員・内藤上等兵曹(元砲術科)
(ゆっくりと口を開く)
「俺たちは“必要”とかじゃなくて、乗せられたんだ。あの船は“国の最後の誇り”だった。けど、誇りのまま沈められた。俺は今も、何を守ったのか、よくわからねぇよ」
候補生・遠藤2尉補(23)
「でも、それを“記憶装置”にして、全国を回る案が採択されたそうですね。戦争の記録をAIで語らせて、海の上で体験させるとか……」
旧乗員・有馬艦長(元大和艦長代理)
(少し遠くから歩み寄り、候補生の輪に入る。その眼差しは、月光のように静かだった)
「記憶は語ってくれる。ただし、それが“教訓”として根づくかどうかは、君らの側にある。象徴ってのは、使いようで毒にも薬にもなる。記念碑にもなれば、戦意高揚の具にもなる。どちらになるかは、時代が決める」
候補生・中村3尉補(21)
「今、僕らの授業で扱っている“多層抑止”理論では、敵に“攻めさせない雰囲気”が第一って教わります。戦艦がそれを担えるんでしょうか?」
有馬艦長
「単艦で戦況を変えられる時代は、もう終わっている。だが、“何を持ってるか”より、“何を見せてるか”が抑止の鍵になる。つまり——“あれは飾りだ”と思わせた時点で、もう象徴じゃない」
(沈黙が落ちる。候補生たちは、有馬艦長の言葉の奥に潜む、深い経験の重みに息を呑んだ)
旧乗員・藤村分隊士(元通信科)
「つい最近の報道で、副大臣が“移動ホテルとしての活用を政府方針とする”って喋って更迭されたそうだな……。記憶ってのは、政府のものか?民のものか?」
候補生・川崎
「もし、国家がそれを“プロパガンダ”に使い始めたら?」
有馬艦長
(目を伏せて)
「我々はそれを、知っている。過去にそれを、信じて、乗った。だから、今ここで話してるんだ」
(その沈黙の中で、風が吹き、桜の若葉がゆれる。中庭の空気は、過去の重みと未来への問いで満たされた)
候補生・遠藤
「……有馬さん。もし、この艦が再武装されるとしたら、どう思いますか?」
有馬艦長
(即答せず、数秒、遠くの海を見つめる。その瞳の奥には、彼らが命を賭して戦った時代の光景が広がっているようだった)
「銃口の向こうに“誰”がいるかを、見失わない限り……それが“覚悟”だ。だが、過去を祭壇にしてはならん。再武装は、“誓い”を問われる行為なのだ」
(時計塔の鐘が21時を打つ。その厳かな音と共に、誰からともなく、敬礼が行われる。二つの時代を生きる者たちの、その夜の談話は静かに終わった)




