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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン19

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第7章 昭和二十年:国体護持と廃止の狭間で


スタジオ(アンカー)

【テロップ】昭和二十年:国体護持と廃止の狭間で


男性アンカー(A): 昭和20年、1945年8月15日。日本がポツダム宣言を受諾し、長い戦争に終止符が打たれたあの日から、日本という国のあり方、その根幹である**「国体」**を巡る激動の時代が始まりました。


女性アンカー(B): 数多くの尊い命と引き換えに終戦を迎えた日本ですが、国民の心には、**「天皇陛下の存在」**だけが唯一の依り所として残されました。しかし、連合国軍総司令部、GHQの進駐は、その最後の砦とも言える皇室制度に、存続か廃止かという究極の問いを突きつけました。


A: 今夜、第1章では、敗戦直後の混沌とした状況下で、いかにして天皇制廃止論と温存論が激しく衝突し、結果として**シナリオ C(象徴継続+機能縮小)**という暫定的な措置が取られるに至ったのかを検証します。


VTR:敗戦直後の日本とGHQの登場

【ナレーション(緊迫したトーン)】 1945年8月15日正午。ラジオから流れる玉音放送の低い声は、国民に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の終戦を告げました。


(VTR:当時の焼け野原となった東京の写真。ラジオに耳を傾ける市民の白黒写真)

ナレーション: 終戦は、日本を支えてきた**「現人神あらひとがみ」としての天皇という概念を、根本から揺るがしました。そして、9月、GHQが日本に進駐。司令官ダグラス・マッカーサー元帥**の権力は、当時の内閣を遥かに凌駕するものであり、日本のすべての制度改革を監督する立場となりました。


【テロップ】GHQ内の対立:廃止論 VS 温存論

ナレーション: GHQ内部では、日本の国体、すなわち天皇制をどう扱うかを巡って激しい対立が生じました。ソ連やオーストラリアなどの強硬な連合国は、軍国主義の温床として天皇制の即時廃止(シナリオ B)を強く主張。天皇・皇族を戦争犯罪人として訴追すべきだという声すらありました。


(VTR:GHQの最高司令官室を再現した映像。マッカーサーが書類に目を通す)

ナレーション: 一方、マッカーサー司令部は、天皇制を温存し、その権威を借りて日本を間接統治する方が、占領統治の円滑化に資すると判断しました。彼らは、天皇を**「平和のシンボル」**へと変えることで、**シナリオ C(象徴継続+機能縮小)**への移行を目指したのです。


ナレーション: このマッカーサーの判断の背景には、**「もし天皇制を廃止すれば、日本国民による大規模な抵抗運動が起き、占領が泥沼化する」**という強い懸念があったと言われています。


スタジオ(コメンテーター解説)

A: 当時の日本政府、特に宮内省は、この状況をどのように乗り切ろうとしたのでしょうか。外交官経験者の佐藤様、お願いいたします。

佐藤氏(元外交官・コメンテーター): はい。日本政府にとって、当時の最大の使命は**「国体護持」、すなわち天皇の地位を守り抜くことでした。政府は、GHQに対して「天皇は戦争責任を負うべきではない」**という論理を繰り返し主張しました。


B: そして、翌年、昭和21年1月には、有名な**「人間宣言」**が発せられます。これは、この国体護持のための極めて重要な一歩だったわけですね。


【テロップ】人間宣言:現人神から象徴へ

佐藤氏: まさにそうです。天皇自らが**「現人神」であることを否定し、「人間」であることを公に宣言したことは、天皇を「政治的責任から切り離し、精神的・文化的地位に限定する」、すなわちシナリオ Cの道を歩む**ための決定的な一歩でした。これにより、GHQの廃止論者の矛先をかわすことができたのです。


A: しかし、GHQは同時に、皇室の政治的な力を削ぐため、具体的にどのような措置をとったのでしょうか。


佐藤氏: まずは**「皇室財産の査定」です。GHQは、皇室が保有していた莫大な財産、特に日本各地の山林や不動産を「民主化のため」として厳しく査定しました。これは、皇室の経済的基盤を弱体化させ、今後の活動を国家の予算に依存させるための布石であり、「機能縮小」**の第一歩でした。


現場リポート:宮内省の混乱と窮乏

リポーター(旧宮内省前): 私は当時、宮内省があった場所の近くに来ています。敗戦直後のこの場所は、GHQからの矢継ぎ早の命令と、職員の混乱で修羅場と化していました。


(VTR:当時の宮内省の古びた写真と、慌ただしく立ち働く職員の想像図)

リポーター: GHQの指示により、宮内省の機能は大幅に制限され、多くの職員が解雇されました。特に、皇室の**「祭祀さいし」や「儀礼」に関する業務以外は、極端に縮小されました。これが、後の「儀礼王室」**の原型となっていくのです


【テロップ】物資不足と皇室の「非公式な私人化」

リポーター: また、食料や燃料の不足は、皇室も例外ではありませんでした。この時期、天皇・皇族はGHQの監視下にありながらも、国民の窮乏を体感し、自ら畑を耕し、食料を確保しなければならない状況に置かれました。


(VTR:当時の新聞記事。「陛下、畑で麦を植える」の見出しの写真)

リポーター: この極端な窮乏と、華族制度の廃止は、後の**「宮家の廃止」と「皇族の一般市民化」(シナリオBの要素)を、すでにこの時期に非公式な形で進めていたと言えます。皇族の多くは、公的な援助が途絶える中で、「自立」**という厳しい選択を迫られ始めていたのです。


スタジオ(クロージング)

B: 敗戦直後の混乱の中で、GHQの意図と、日本の国体護持の努力が交錯し、このシナリオ Cという道が選ばれたことがよく分かりました。


A: しかし、この「儀礼的な地位」への限定は、その後の日本の政治的な安定に貢献した一方で、**「天皇制の存在意義」という、さらに重い問いを未来に残しました。この曖昧な状態こそが、後の激変、すなわちシナリオ B「完全廃止」**へと日本を導くことになります。


【テロップ】次回予告:第2章「『儀礼王室』の試み:GHQの圧力と窮乏」

A: 次回は、GHQの占領政策の下、いかにして皇室の機能が切り詰められ、**「儀礼王室」**という制度が日本社会に定着しようとしたのかを検証します。今夜はこれで失礼いたします。

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