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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17

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シーズン13 専門講義 推論の暴力 ― 第2層と第1層の切断


I. 抽象化の論理的解体:世界の切断としての「捨象」

ソファに座る犀川創平は、マグカップから立ち上る湯気を眺めていた。その形状、熱、蒸発という現象すべてを、彼は即座に物理モデルへと変換する。


犀川:第2層、すなわち推論(モデル化)は、四季さんの言うようにノイズかもしれない。しかし、その機能は生命維持のための道具として、論理的に必然だ。推論がなければ、我々は目の前のマグカップを「掴むべき熱いもの」として認識できない。


萌絵:先生の言う通り、推論は私たちを生存させてくれます。でも、四季先生はそれを**「抽象化の暴力」**だと指摘されました。


犀川:抽象化とは、無限の感覚入力(第1層)から、特定のパターンを切り出す操作だ。例えば、このマグカップ。その材質、表面の微細な凹凸、周囲の光の反射角、空気中の分子の揺らぎ……すべてを情報として処理しようとすれば、脳は瞬時にパンクする。


犀川:推論はここで、それらの不可避な情報を「捨象しゃしょう」(無視して切り捨てる)する。そして、「白くて、円筒形で、熱を保持する」という有限で離散的なモデルを作り出す。このモデルの目的はただ一つ、予測と効率だ。


四季:フフ……効率ね。**「世界の破壊」**と引き換えに得られる、安っぽい効率。


犀川:破壊ではない。最適化だ。世界が持つ連続的な豊かさを諦め、計算の効率を選び取る。これにより、我々はエネルギーを節約し、数秒後の行動を予測できる。これが第2層の機能的な本質だ。推論は、世界の連続性を、生存のための有限な道具へと切断する行為なんだ。知性は、この切断から始まる。


II. 連続体と離散化の乖離:四季の絶対的な視点

四季の声が、犀川のマグカップの蒸気に溶け込むように響いた。


四季:あなた方は、いつもコップとコップの間を切り捨てる。コップの輪郭、その存在を明確に定義し、それ以外を**「背景」**として無視する。でも、世界には「背景」なんてないわ。


四季:私が観ているのは、コップを形作る光の粒子と、それを透過する空気の分子、あなたの指の皮膚の細胞、そしてその細胞の揺らぎが、連続的に一つの現象として流れ続けている**「コップの連続性」**よ。


萌絵:それは、時間と空間の境界線がない状態、ということですか?


四季:そうよ。あなた方が「時間」や「空間」というカテゴリーで世界を切り分けているから、「コップ」という存在が固定化され、静止して見えるの。第2層は、動いている世界を無理やり**「スナップショット」**として貼り合わせることで、あなた方を安心させているだけ。


犀川:それは、我々が「理解」と呼んでいるものが、世界そのものの**「時間的・空間的な生きた運動」ではなく、「死んだ静的なモデル」**にすぎない、ということか。


四季:その通り。推論が働く瞬間、あなたは世界から最も遠ざかる。なぜなら、あなたは世界のモデルを理解しているのであって、世界そのものを理解しているのではないから。そして、そのモデルは、世界の無限の情報をノイズとして切り捨てた残骸でしかないわ。


III. 萌絵の直観:第1層への回帰願望と情熱

西之園萌絵は、四季の冷徹な論理と、犀川のドライな機能主義に挟まれ、強い焦燥感を覚えた。彼女の知性は、論理よりも直観的、即時的な理解を求める。


萌絵:私には、四季先生の言う「コップの連続性」のすべてを見ることはできません。でも、感じることはできます。


萌川:考えること、推論することは、いつも遅いんです。論理を組み立てている間に、感情や情熱は冷めてしまう。私が先生(犀川)に何かを伝えるとき、言葉(第4層)を選ぶよりも先に、**感情(第1層に近い)**が溢れてしまう。


犀川:君の知性は、推論よりも第1層の即時性を求める。それは、計算による予測よりも、身体的な共鳴を信頼するということだ。


萌絵:はい! 私は、美しいものを見たとき、「美しい」と分析する前に「美しい!」と感じたい。その瞬時の共鳴こそが、私にとっての真実です。推論は、その純粋な共鳴の邪魔です。第2層が介入すると、「なぜ美しいのか」「構造はどうか」と分析が始まり、**「美しいと感じる情熱そのもの」**が切り捨てられてしまう。


四季:フフ……。情熱ね。それは、第3層の自己が第1層の感覚を物語化しようとする、一瞬のエネルギーの錯覚よ。でも、その錯覚があなたにとっての真実なら、否定はしないわ。


IV. 犀川の弁護:「予測」という生存への道具

犀川は、二人の哲学的な対立を静かに整理した。彼の関心は、常に知性の機能と限界にある。


犀川:四季さんは、知性を**「真実の追究」という絶対的な基準で評価している。萌絵くんは、知性を「情熱の維持」という主観的な価値で評価している。私の関心は、ただ「生存」**という最も低い、しかし最も普遍的な基準にある。


犀川:推論(第2層)は、ノイズかもしれない。世界を断片化し、情報を捨象する。しかし、それがなければ、我々は**種の「適応」**という課題をクリアできない。


犀川:予測符号化理論に戻る。世界が連続的で無限であるからこそ、我々は最低限のモデルで次に来る入力を予測し、誤差を最小化しなければ、エネルギー効率が悪すぎて即座に死に至る。推論は、**「世界に殺されないための最低限の道具」**なんだ。


萌絵:ノイズであったとしても、生きるためには必要だと。


犀川:そうだ。知性は、世界に近づくための装置ではなく、世界から身を守るための盾だ。その盾を作る過程で、世界の真実は切り捨てられる。それは悲劇だが、避けられない必要悪なんだ。本質に囚われ、この不完全な道具を捨てることは、死を意味する。私は、死ぬのは面倒だから、このノイズを使い続ける。


四季:フフフ……。「死ぬのは面倒」。やはりあなたは面白いわ。あなたの知性は、生存という低次元の目的に縛られた、最も高性能な道具ね。でも、その道具が、次の第3層で**「自己」という牢獄**を作り出し、あなた自身を縛りつけていることに、気づいているかしら?

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