第108章 Ω-TERRA セッション#120《言葉と芸術の誕生:ホモ・サピエンス
〔画面が開く。青白い霧。やがて壁が現れ、そこに複雑な線が浮かび上がる。〕
Astra-Core(AI音声):「時代:約3万8000年前。観測地:ショーヴェ洞窟(南フランス)。
対象:ホモ・サピエンス・初期芸術群。セッション開始。」
野田「……まるで生きてるみたい。線が、動いてる。」
〔壁には動物の連続画。ウマ、バイソン、ライオン。火の明滅に合わせて、走って見える。〕
富沢「描かれてるんじゃなくて、“再生されてる”感じですね。
炎の揺れと線のリズムが一致してる。」
部長「それが、最初の“アニメーション”ですよ。
火のゆらぎを利用して、動きを錯覚させる。
ホモ・サピエンスは、光の中に“物語”を見た。」
亀田「ってことは、映画監督のご先祖様か。
すごいな、4万年前からエンタメしてる。」
(全員、微笑)
〔若い男が壁に手を当て、口から粉を吹く。手形が浮かぶ。〕
野田「あ……“吹き付け手形”。
自分の輪郭を残してる。」
副部長「呼気を使った表現です。
肺活量と意識的制御、つまり“発声能力”の証拠でもあります。
言語と絵画は、同じ発生構造にある。」
重松「脳科学的にも裏づけがあります。
絵を描く運動野と、発話を司るブローカ野が近接している。
“描くこと”は“語ること”の延長なんです。」
富沢「つまり、壁画は“話すように描いた”ってことですね。」
〔洞窟の奥。女が骨笛を吹く。短い旋律。空間が共鳴する。〕
野田「……音。
でも、ただの音じゃない。
空間を“聴いてる”音だ。」
部長「そう。“音楽”の始まりです。
これは文化ではなく、時間の認識の始まりでもある。
リズムを刻むことは、“未来”を予測する脳の働きなんです。」
亀田「つまり、音楽って“明日を信じる仕組み”か。」
副部長「いい言い方ですね。
時間軸の共有、それが社会を維持する最大の鍵です。」
〔別のシーン。複数の個体が焚き火を囲み、言葉を交わしている。唇、喉、舌の動きがはっきり見える。〕
富沢「……今、喋った。
単語じゃなく、文みたいなものを。」
Astra-Core:「発声波形解析結果:子音構造を伴う多音節発話。
喉頭位置下降・舌骨形態=現代型。言語構造確立期。」
重松「ホモ・サピエンスの言語機能が確認されるのはこの頃です。
“抽象概念”を扱えるようになった。」
部長「言葉が生まれた瞬間、人類は“記憶の外部化”を手に入れた。
脳だけでなく、音の連鎖で世界を保存できるようになったんです。」
野田「……だから、彼らは“時間”の中に住めたんだ。」
〔画面に切り替わり、洞窟の外。雪原を歩く群れ。空は白。〕
副部長「この時代、すでにアフリカから拡散し、ユーラシア全域へ。
寒冷地に適応し、火と服、そして“語り”を携えて旅をした。」
亀田「つまり、言葉がパスポートだったんだな。」
富沢「それが文化を運んだ。
道具も技術も、音で伝わるようになったんですね。」
〔洞窟に戻る。長老が手形の前で座り、低い声で語る。
言葉は意味を超え、リズムだけが残る。子どもたちが目を閉じて聞く。〕
野田「……これ、“物語”だ。」
部長「そう。
意味より“共有の時間”を作る行為。
語りの起源、そして信仰の原型です。」
副部長「“なぜ生まれ、なぜ死ぬのか”――
その問いが発生したのもこの時期です。
ホモ・サピエンスは、“自分を外から見た”最初の生物でした。」
重松「それが、哲学の起点ですね。」
〔壁画の馬が再び揺れる。火の光が波打ち、影が走る。〕
富沢「……走ってる。今も。」
野田「生きてるんだと思う。
描いた人の“心”が、火で呼吸してるみたい。」
部長(静かに)「ええ。
人類が初めて、“世界を心で再構成した”瞬間です。
この洞窟は、文明の胎内なんですよ。」
〔火がゆらめき、全員が沈黙する。〕
Astra-Core:「セッション#120終了。記録名:《言葉と芸術の誕生》。
次観測:ホモ・サピエンス・都市形成期。」
〔最後のカット:壁の手形に、現代の人の影が重なり、ゆっくりフェードアウト。〕
「語ること。それは、時間に抗うための最初の芸術だった。」




