基礎講義 インドの衝突とアジアの隆起
[講義記録:地球惑星科学ゼミ 第7講/佐伯研究室]
佐伯教授:
さて、ゴンドワナの崩壊が進み、南の海が生まれたあと――
地球上でもっとも劇的な「衝突劇」が始まる。
主役は、あのインド亜大陸だ。
リョウ:
インド……まだ南極の近くにいたはずですよね?
佐伯教授:
そうだ。
約1億年前、インドは南緯40度、東経60度――現在のマダガスカル南東沖。
周囲を暖かいテチス海が取り巻き、
巨大なアンモナイトやモササウルスが泳ぐ、青く静かな海だった。
だが、マントル深部からの上昇流――デカントラップ火山活動が始まる。
それが引き金となって、インドはマダガスカルから切り離され、
年に15〜20cmという驚異的な速度で北上を始めた。
地球史で最速の「漂流大陸」だ。
大陸の疾走 ― 南から北へ5000kmの旅
佐伯教授:
見てごらん。
インドは赤道を越え、北緯10°、20°……と急速に北上していく。
約7000万年前にはスリランカ付近が赤道上にあり、
5000万年前にはすでに**ユーラシア大陸の南縁(チベット南部)**に達していた。
総移動距離は5000〜6000km。
これは東京からアラスカまでに相当する距離を、
わずか5000万年で走り抜けた計算だ。
リョウ:
地球のスピード感が違いすぎますね……。
その間、気候や生物はどう変わったんですか?
佐伯教授:
良い質問だ。
北上するインドは、まるで“移動する温室”だった。
海からの湿潤な空気を運び、赤道の熱を北へ押し上げた。
その結果、地球全体が再び温室化し、
海水温は熱帯で35℃、極域でも20℃近くまで上昇した。
その温暖な気候の中で、白亜紀の恐竜たちが繁栄する。
ティラノサウルス、トリケラトプス、そして翼竜――。
海にはモササウルス、空には原始鳥類、陸には被子植物の森。
地球は、生命に満ちた**「最後の楽園」**だった。
大絶滅 ― “楽園の終わり”が生んだ新しい世界
リョウ:
でも、恐竜たちはこのあと絶滅するんですよね?
佐伯教授:
そう。
約6600万年前、メキシコのユカタン半島(北緯21°付近)に直径10kmの隕石が衝突。
地軸は傾き、塵が太陽を覆い、地球の温度は数年で10℃以上低下した。
恐竜の大半が滅び、
その空いた生態系の隙間に哺乳類が進出した。
インドの大地にも、夜行性の小型哺乳類が姿を現し、
のちの霊長類の祖先へとつながっていく。
リョウ:
地球の「主役交代」ですね。
佐伯教授:
その通り。
だがその裏で、インドの大地は止まらなかった。
衝突は目前だった。
衝突 ― ヒマラヤが隆起する瞬間
佐伯教授:
約5000万年前、北緯30°。
インドはついにユーラシア南縁に衝突する。
衝突角度は北北東方向――ちょうど今のデリーからラサを結ぶ線だ。
地殻の厚さは倍になり、
プレートがめり込み、沈み込まずに重なり合った。
結果、地表が押し上げられて生まれたのが――
ヒマラヤ山脈だ。
当初は標高1000m程度だったが、
その後も年間数mmずつ上昇を続け、
現在の**エベレスト(8848m)**を形成している。
リョウ:
じゃあ、ヒマラヤって、まだ“成長中”なんですか?
佐伯教授:
そうだ。
いまも年間約5mm上昇している。
そして、衝突によって北のチベット高原が広がり、
大陸の重みでモンスーン循環が強化された。
ヒマラヤが「空の壁」となり、
インド洋からの湿潤な空気を遮ることで、
インドに雨季と乾季が生まれた。
気候と生命の新秩序
佐伯教授:
ヒマラヤの出現は、単なる山の誕生ではない。
地球規模の気候装置ができたんだ。
•インド洋からの上昇気流 → 雨季モンスーン
•チベット高原の冷却 → 冬季モンスーン
•高度差により空気が循環 → 乾湿の交互リズム
このリズムが、
のちのアジアの森林、サバンナ、氷河分布を形づくった。
そして気候変動が、人類誕生の舞台を準備していく。
リョウ:
……こうして、インドの動きがアジアの天井を押し上げ、
気候までも変えてしまったんですね。
佐伯教授:
そうだ。
ヒマラヤは「地球の心臓の鼓動」だ。
その隆起がモンスーンを生み、
モンスーンが森林を育て、
森林が生物の進化を支えた。
一つの衝突が、惑星の生態系全体を変えたんだ。