基礎講義 日本弧の誕生 ― 大陸が裂け、島が生まれた
リョウ:
先生、前の回で“日本の素材”がアジア大陸にぶつかったって話がありましたよね。
それで地殻が押し付けられて、付加体ができて……。
でも、どうしてそれが“島”になるんですか?
ぶつかるなら、大陸にくっついたままじゃないんですか?
佐伯教授:
いい視点だね。
確かに、最初は完全に大陸の一部だった。
でも、地球はいつも「押す」だけじゃなく、「引く」こともする。
およそ2億年前――アジア大陸の縁で、地球は**裂け目**をつくり始めた。
まるで布を両手で引き裂くようにね。
リョウ:
引き裂く……?
それって、大陸が割れていくってことですか?
佐伯教授:
そうだ。
地球のプレートは、ただ並んで動くだけじゃない。
大陸の下に沈み込む海洋プレート――このときはイザナギプレートと呼ばれる――が北西に向かって押し寄せ、
大陸の縁が引っ張られるように反り返っていく。
この「たわみ」が進むと、大陸の端が少しずつ海側に離れ始める。
それが、“島弧(archipelago)”の始まりだ。
リョウ:
あっ……だから「日本弧」って言うんですね。
プレートの動きで、陸の端が弓なりにそっくり返った?
佐伯教授:
その通り。
北から見ると、九州から北海道まで、きれいに弓のような形をしているだろう?
あれは偶然じゃない。
2億年前のこの“引き裂き”の記録が、いまの日本列島の曲線なんだ。
リョウ:
じゃあ、日本が大陸から離れ始めたのはそのときですか?
佐伯教授:
正確には、完全に離れるのはもっと後――だいたい1億5千万年前ごろ。
でも2億年前から地殻の動きが始まり、
火山帯が活発になって「背弧盆地」ができ始めた。
つまり、大陸と海洋プレートの“境界線”が、はっきりしてきた時期だ。
リョウ:
火山が多くなったのも、このころですか?
佐伯教授:
うん。
沈み込むイザナギプレートの上に、溶けたマグマが上がってくる。
火山島が連なり、そこに堆積物が積もり、また沈んでいく。
火と水の往復運動が、まるで心臓の鼓動のように続いていた。
その“鼓動”が今も、日本の地震や噴火のリズムとして残っているんだ。
リョウ:
……地球が生きてる、って感覚が少しわかる気がします。
でも、大陸が割れていくって、どんなスピードなんですか?
佐伯教授:
だいたい、1年に数センチ。
人間の爪が伸びるより少し遅いくらい。
でもね――1億年続けば、2,000km以上も離れる。
いまの日本海の広がりがちょうどその証拠だ。
海は時間でできた地図なんだよ。
リョウ:
すごい……。
じゃあ、その間に日本はどういう姿になっていったんですか?
佐伯教授:
最初は、アジア大陸の縁に並んだ火山列島。
次に、その背後の地殻が沈み込みによって薄くなり、
海水が入り込んで“浅い内海”ができた。
それがだんだん広がって、
やがて「日本海」へと変わっていく。
つまり――海が生まれたから、日本は島になったんだ。
リョウ:
海が生まれた……。
なんか、地球が息を吸い込んだ瞬間みたいですね。
佐伯教授:
まさにそう。
アジア大陸という巨大な肺が、プレートの呼吸で膨らみ、
日本列島という“呼気の島”を生んだ。
火山の列、地震の線、深い海溝――
それらは地球の“呼吸音”なんだ。
リョウ:
じゃあ、地震も火山も、
日本が“生きている”証拠なんですね。
佐伯教授:
その通りだ。
私たちは、動く大地の上で暮らしている。
動くということは、壊れることも、再生することもあるということ。
それがこの国の地形の宿命でもあり、美しさでもある。
リョウ:
……日本の山や谷や温泉も、全部その延長なんですね。
地球の呼吸の跡、って考えると、少し怖いけど、ちょっと感動します。
佐伯教授:
怖さと美しさは、同じ場所から生まれる。
火山が噴けば破壊をもたらすが、
その灰は肥沃な大地を生み、生命を育てる。
地震が山を崩しても、その断層面が地下水を導く。
地球の動きは、いつも創造と破壊を同時に運ぶんだ。
リョウ:
……地球って、止まることがないんですね。
“今の日本”も、まだ完成してない。
佐伯教授:
そう。
プレートは今も動き続けている。
日本列島は“進行形の地形”だ。
いずれまた形を変え、
数千万年後には、今とはまったく違う場所にあるだろう。
私たちは、その途中に生まれただけの存在なんだ。




