第87章 《エディアカラの息吹 ― 多細胞動物の原型》
絶対年代:6.3〜5.4億年前(エディアカラ紀)
24時間換算:12:30–13:00
Scene 1 12:30–12:40(約6.3億年前)/夢の海
Ω-TERRAのドームが淡い光に包まれた。
氷が溶けたばかりの海――その水は透明で、まだ“捕食”という概念を知らない。
海底には、柔らかな体を持つクラゲ状、リーフ状、葉状の生物が静かに揺れていた。
彼らは、意思を持たず、ただ海流に身を任せて動いている。
夏樹が息を呑む。
「……まるで夢の中。」
チサ:「水のゆらぎが、彼らの時間。動くというより、漂っているのね。」
タッキー:「この動き、筋肉運動じゃない。水圧と浮力のバランスだけで形を保ってる。」
圭太:「それでも、生きてるってわかる。……なんでだろうな。」
スノーレン:「生命とは、物質の秩序ある遅延。崩壊に抵抗する構造が存在する限り、生は続く。」
静かな海。
だが、その静寂の中に、確かに**“始まり”の呼吸**があった。
Scene 2 12:40–12:45(約6.0億年前)/意図のない運動
ドローンカメラが海底近くに降下し、半透明の生物を映し出す。
彼らは自らの意思ではなく、流れと光の反射に合わせて緩やかに形を変える。
チサが低く呟く。
「これは“意図のない運動”ね。
動きはあるけれど、目的がない。……まだ“生存”を知らない生き物たち。」
夏樹:「それでも美しい。世界が彼らを動かしてる感じ。」
タッキー:「細胞分化の比率、一定周期で変動中。外界刺激への応答じゃなく、内的リズムだ。」
スノーレン:「初期代謝周期の記録完了。個体の意志ではなく、化学振動のゆらぎ。」
圭太:「人間だって、呼吸や鼓動の半分は“無意識”だ。
つまり俺たちも、この延長線上にいる。」
チサ:「……そうね。意図より先に“生命”があったの。」
Scene 3 12:45–12:50(約5.8億年前)/対称性の崩壊
顕微鏡ドローンが一体の生物を追う。
その身体には、わずかな“非対称”が見え始めていた。
前と後、上と下――構造が偏りを持ち始める。
スノーレン:「構造の対称性が崩れた。これが“体の前後”の起源。」
チサ:「前ができた瞬間、未来が生まれたのね。」
夏樹:「進むってことは、選ぶってこと。」
タッキー:「神経の原型も出現。刺激応答の方向性ができた。」
圭太:「偶然の偏りが、やがて運命の方向になる。」
スノーレン:「観測更新。非対称性=エネルギー流の一方向化。
生命は“時間”を得た。」
チサ:「これが、“意志”の前段階。」
生物がほんの少しだけ――流れの逆へ動いた。
それは、地球史上初の“選択”だった。
Scene 4 12:50–12:55(約5.6億年前)/生きている証
画面に、円盤状のディッキンソニア、羽根状のチャルニオディスク、糸状のスプリギナが浮かび上がる。
いずれも骨を持たず、神経も未発達。
しかし、表層に複雑な模様が走り、わずかな光の差にも反応していた。
圭太:「まだ骨も眼もないけど、生きてるってわかる。」
チサ:「“見る”より先に、“感じる”があったのね。」
タッキー:「光刺激に対する電位変化、0.3ミリボルト。――感覚の萌芽。」
スノーレン:「生物史上、初の外界フィードバック系。これが後の“感情”の原型。」
夏樹:「感じるって、痛みとか不安も含むんだよね。
……でも、そこから世界が始まる。」
チサ:「そう。生きるとは、“感じ続けること”そのもの。」
沈黙の海で、光が揺れた。
それはまるで、世界が“目覚め”を始めたかのようだった。
Scene 5 12:55–13:00(約5.4億年前)/静寂の終わり
ドーム内に再生される映像が、ゆっくりと明滅する。
エディアカラの海は、穏やかで、静かで、そして――終わりに近づいていた。
酸素濃度は上昇し、海流が速まり、捕食構造の前駆体が出現する。
タッキー:「環境の不安定化を検出。
栄養循環速度が急上昇、エネルギー流が倍化。」
チサ:「カンブリア爆発まで、あと4000万年。」
スノーレン:「複雑化の圧力が閾値を超えた。
生物圏は“競争の時代”へ移行する。」
圭太:「夢の終わりって、次の現実の始まりなんだな。」
夏樹:「静かに終わる。――でも、この静けさが未来を呼ぶ。」
チサ:「そう、これは終わりじゃない。“生命の第1章”の終止符よ。」
海底の砂が舞い上がる。
その瞬間、微かな影がひとつ――捕食者の輪郭を残して消えた。
それは、次の時代への前奏音だった。