第21章 記憶の海へ:大和乗員、呉を出港
2026年2月。戦艦大和の乗員たちが2025年の日本にタイムスリップしてから、およそ六ヶ月が過ぎた。彼らは、永田三佐をはじめとする海上自衛隊の記憶保持者たちの手厚い支えを受け、日本の各地を訪問した。東京の喧騒、大阪の活気、広島の復興、そして平和な日常を送る人々の姿。その全てが、彼らが命を賭して守ろうとした「未来」の証だった。当初の困惑や葛藤は消え去り、彼らは少しずつ、この新しい時代、この平和な日本を理解し始めていた。
しかし、彼らの心には、決して癒えない傷があった。共に戦い、海に沈んでいった友の記憶。そして、彼らが「もう一つの歴史(世界線A)」では死んだことになっているという、割り切れない現実だ。彼らは、慰霊碑に刻まれた自らの名を見た。それは、彼らがこの世界線(世界線B)に存在しないはずの「死」でありながら、確かに存在した過去の記録だった。
その「もう一つの死」と、そこに残された戦友たちの魂に、今、向き合う時が来たのだ。彼らは、自らが救われた運命の代償として、沈んだはずの戦友たちの魂を弔い、そして、この平和な未来が、彼らの犠牲の上に成り立っていることを、改めて胸に刻むことを決意した。それは、彼ら自身の存在をこの現代に確かなものとするための、避けては通れぬ鎮魂の旅だった。
この日、大和の乗員たちは、その記憶と向き合うため、そして彼らの「死」が刻まれた場所へと向かうため、再び呉の港に集結した。彼らが乗り込んだのは、現代の海上自衛隊の護衛艦「きりしま」だった。そのすぐ横に、最新鋭のイージスシステムを搭載した「こんごう」型護衛艦の一隻が、静かに、しかし確かな存在感を持って波止場に横付けされている。
護衛艦「きりしま」の喫水線付近では、機関の冷却水が微かに波立ち、出港を待つ静かな鼓動を伝えていた。
有馬幸作艦長は、その艦橋から、懐かしい呉の街並みを見下ろした。巨大な潜水艦ドック、整然と並ぶ護衛艦、そして、平和な日常を送る港の人々の姿。隣には、副長・森下耕作、砲術長・江島といった大和の士官たちが、そして、彼らを支え続けた海上自衛隊の竹中二佐、斎藤三尉、秋月一佐、永田三佐らが、厳粛な面持ちで立っている。彼らの間には、言葉はなくとも、深い共感が流れていた。
「司令」竹中二佐が、有馬に声をかけた。「出港準備が整いました。航路は、東シナ海、かつて大和が…轟沈した海域へ向かいます」。竹中の声は、悲しみを湛えながらも、任務を全うする軍人としての毅然とした響きを持っていた。
有馬は、静かに頷いた。彼の目には、過去の記憶と現在の光景が交錯している。故郷の港を離れるのは、81年前と同じ。だが、その目的は、もはや戦いではない。
「よし。出港せよ」有馬は、深呼吸をして命じた。その声には、悲しみと決意が混じり合っていた。
護衛艦「きりしま」は、汽笛一つ鳴らさず、静かに呉の岸壁を離れた。巨大なガスタービンエンジンが静かに唸りを上げ、スクリューが波を切り裂く。艦尾に白い航跡を残しながら、最新鋭の護衛艦は、日本の命運を背負い、そして忘れ去られた過去の記憶を抱え、深淵なる記憶の海へと進んでいった。