第83章 《大酸化イベント ― 大気の転換》
Scene 1 8:00–8:20(約21億年前)/空が変わる
赤く染まった地平線。火山列が連なり、灰と炎を空へ噴き上げている。
CO₂と酸素が化学的にせめぎ合い、白い霧のような酸化ガスが漂う。
チサが眉をしかめ、データを読む。
「火山ガス組成、二酸化炭素比率が急減。――空が変わる……」
スノーレン:「化学平衡が逆転。酸素が大気の主要酸化剤に。」
タッキー:「火山活動が、皮肉にも酸素の定着を助けてる。」
圭太:「地球が、呼吸を始めたみたいだな。」
夏樹:「さっきまで白かった空が、灰色に、そして――青くなっていく。」
風が吹き、灰を巻き上げる。その中に、微かに青の粒子が光った。
それはレイリー散乱のはじまり――青い空の胎動だった。
Scene 2 8:20–8:40(約20億年前)/光の盾
上空数十キロ。酸素が紫外線を浴び、分子が結合していく。
AI《Astra-Core》が報告する。
「O₃生成反応進行。オゾン層形成開始。紫外線透過率、30%低下。」
タッキーが笑う。「DNAが安定化した……複雑化の時代へ。」
チサ:「紫外線が減ったことで、突然変異率も制御される。
これが“長期的進化”の前提になるのよ。」
スノーレン:「観測補足:紫外線強度の減衰は表層微生物に有利。
光と生命が共存できる時代に突入。」
圭太:「太陽光が“殺す”だけの存在じゃなくなったんだな。」
夏樹:「光が、命を守る――そう考えると、すごいよね。」
雲間から射す光はもう、焼き尽くすものではなく、包み込む光になっていた。
Scene 3 8:40–8:55(約19億年前)/青い惑星
海の色が変わる。
酸化鉄が沈殿しきった後の水は、澄み切った青を取り戻していた。
上空から見た地球は、初めて“現在の色”を持った。
圭太がヘルメットを外して呟く。
「地球がやっと……青い惑星になった。」
チサ:「酸素濃度、約10%。この色は鉄の終焉と生命の勝利の証。」
タッキー:「空も海も同じ青。――それが“安定”のサインだ。」
夏樹:「私たちの呼吸の色なんだね。」
スノーレン:「観測ログ更新。惑星の反射スペクトルピーク、0.48μm。
地球固有の“生命の指紋”として登録。」
圭太は静かに笑う。「ああ……この色を、いつか宇宙から見上げる日が来る。」
海面には、泡と風が描く銀の模様――
そのひとつひとつが、まだ名もない未来の命の故郷だった。
Scene 4 8:55–9:10(約17億年前)/大陸の目覚め
観測視点が海底から上昇する。地殻の亀裂がゆっくりと動き出し、
黒いマントルの対流がプレートを押し始める。
スノーレンが淡々と告げる。
「プレート境界形成開始。――大陸漂移の萌芽を確認。」
チサ:「これで地球は“動く惑星”になる。生命の多様化には、環境の変動が必要だから。
タッキー:「酸素による地殻酸化が岩石の粘性を変えてる。
結果的に、プレートが“滑る”。」
圭太:「地球が動くって、なんだか生き物みたいだな。」
夏樹:「鼓動がある星。心臓を持つ惑星。」
チサ:「それが“地球”という名前の意味よ。大地が息づく星。」
沈黙の中、ドームの計器が低い震動を検知した。
それは最初の地震の音――惑星が歩き出す足音だった。
Scene 5 9:10–9:30(約15億年前)/空気が動く
空が青く透き通り、海が光を返す。
大気の温度差が生じ、初めて“風”が吹いた。
夏樹が微笑む。「……聞こえる? 風の音。」
チサ:「熱対流開始。空気が動いてる。」
圭太:「この瞬間、空気が“呼吸”を始めたんだ。」
タッキー:「CO₂とO₂の循環が定常化。――大気の平衡、確立。」
スノーレン:「これ以降、惑星は“閉じた系”として安定稼働。」
夏樹:「風が吹いた……“空気”が動いた瞬間。」
チサ:「音を持つ大気。これで生命は“声”を持つ準備が整った。」
圭太が遠くの地平を見やる。「この風が、いつか歌になる。」
AIの声が静かに重なる。
「観測ログ:酸素安定化イベント完了。惑星呼吸状態、持続確認。」
地球は、初めて“空を持つ命”になった。
青い風が吹き抜け、
その音は確かに――生きている星の息だった。




