第82章 《氷の地球 ― ヒューロニアン氷期》
Scene 1 7:00–7:15(約24億年前)/眠る海
Ω-TERRAの映像が、かつての青い地球を映す。
だが、その色はもはや存在しなかった。
視界はすべて――白。
氷に覆われた惑星。気温−60℃、海面から赤道までが凍結している。
雲は動かず、空は乳白色の静寂。
圭太が息を呑む。「……音が、しない。」
チサがデータを見つめながら言う。
「全球凍結。酸素が増えすぎた結果、温室効果ガスが消え、
CO₂が急減したの。――海も眠った。」
タッキー:「平均アルベド0.8、反射しすぎて太陽光が届かない。」
スノーレン:「熱収支解析――地表放射エネルギー、ほぼゼロ。
これは惑星規模の“冬眠”状態。」
夏樹が凍りついた海を見つめる。「こんな静けさでも、まだ“生きてる”んだね。」
圭太:「命の息が、氷の下で小さく鳴ってる……そんな気がする。」
Scene 2 7:15–7:30(約23.5億年前)/氷下の生命
氷を貫くドローンが、暗い海へと潜行する。
氷層の厚さ――数キロメートル。
内部は暗黒だが、底部の亀裂から、微かに熱が滲んでいた。
そこには、硫化鉄をまとった**熱水噴出孔**があり、
その周囲に、糸のように細長いバクテリアが群れていた。
チサ:「まだいた……生き残ってる。」
スノーレン:「メタン生成菌および硫黄還元菌群を検出。活動温度+20℃。
氷の下で“局所的な春”を形成中。」
タッキー:「生命圏は完全には途絶しなかった。――これが“氷下生態系”の起源。」
夏樹:「闇の中で光もなく、それでも動いてる。すごいね。」
圭太:「人間なら、絶望しか感じない場所だ。でも……彼らは“当たり前”に生きてる。」
スノーレン:「進化は環境を問わない。エネルギー勾配があれば、命は流れ続ける。」
Scene 3 7:30–7:40(約23億年前)/氷の下の化学
ドローンのアームが岩壁を削り、鉱物片を採取する。
センサーが示すのは、硫化水素、メタン、鉄イオン――そして生命活動の痕跡。
スノーレンが報告する。
「代謝反応継続中。電子伝達系を保持。酸素は不要。」
チサ:「氷の下でも化学反応は止まらない。進化は――停止しない。」
タッキー:「むしろ、こういう極限状態こそ“進化の圧力”になるんだ。」
夏樹:「何かを壊さないと、次は生まれないのかもね。」
圭太:「地球が試してるのかもしれない。どこまで“生”は続けられるか。」
スノーレン:「観測データ補足――代謝効率は低下しているが、DNA前駆体の構造保存を確認。
生命は単に“生き延びている”のではなく、“未来を記録している”。」
チサ:「……そう、これも記憶。地球が忘れないための記録。」
その言葉に、誰も続けなかった。
氷の奥の暗闇には、微かな光の粒――生命の微弱な放電が、まるで星座のように瞬いていた。
Scene 4 7:40–7:50(約22億年前)/火山の息吹
静寂を破ったのは、大陸縁の深紅の閃光だった。
氷床の裂け目から、巨大な噴煙が立ち上がる。
タッキー:「火山活動上昇。CO₂濃度、急激に上昇中。
地球が自分を“溶かそう”としてる。」
チサ:「火山由来の二酸化炭素が、温室効果を回復させていく……
融解まで、あと数百万年。」
スノーレン:「計算完了。放射収支均衡まで1.7×10⁶年。
臨界CO₂分圧:0.12 bar。」
夏樹:「長い冬の終わりが、もう見えてるんだね。」
圭太:「でも、それまでずっと“下”で耐え続ける命がいる。」
チサ:「地球の“根”にある生命――それが、すべての祖先になる。」
氷床の下で、メタン気泡が破裂し、小さな光が散った。
それは惑星が再び息を取り戻す、最初の兆しだった。
Scene 5 7:50–8:00(約21億年前)/氷の音
気温がわずかに上がり、氷が鳴った。
きいん、と金属的な音が海全体を伝う。
夏樹が目を閉じる。「……聞こえる?」
圭太:「ああ。氷が、歌ってる。」
タッキー:「氷晶の応力音だ。圧力変化で共鳴してる。」
チサ:「凍った世界の下にも、音がある。」
スノーレン:「音波解析――周波数0.8Hz。惑星の自転周期と同期。」
チサ:「地球そのものが、声を上げてるのね。」
夏樹:「生きてる証拠だよ。沈黙の中で、自分の存在を確かめるみたいに。」
スノーレン:「観測終了。氷床振動波形を保存。ファイル名:Heartbeat_of_Snowball.」
圭太:「この音、未来の海にも残るといいな。」
AIのログが閉じる直前、
ドーム全体を通して低い震動が響いた――
それは、凍った惑星の心臓が再び動き始めた音だった。




