第68章 地球の声 ― The Planetary Frequency
2025年6月12日午前3時。
筑波融合研究区《Fusion Belt》地底第5観測室。
主制御卓に設置された波形モニターが、静かな変化を示していた。
周期13.7秒。振幅0.3mV。
しかし今回の波形は、これまでの単純な正弦波とは異なっていた。
藤堂は表示を拡大し、解析AI《Astra》に指示を送った。
「信号をフーリエ分解。副調波を抽出。」
AIの声が応答する。
《主周期13.7s。副波群比率1:1.618。黄金比構造検出。》
「……黄金比?」凪がモニターを覗き込む。
「自然界で自己組織化を示す系が持つリズムだ。
心拍、葉序、渦、銀河腕――どれもこの比率を保つ。」
だが波形は単なる美的構造ではなかった。
地球物理センサー群(潮汐圧、磁場、気圧、重力微変動)の全てが、
同じ周期で微小な同期を示していた。
北極磁場観測所、インド洋潮汐監視衛星、南米アンデスの重力干渉計――
全データが0.02秒の誤差範囲で共鳴している。
藤堂:「惑星規模の共振だ。」
凪:「つまり、地球全体が……この周期で呼吸している?」
「そう。だが、これは現在の地球の自然リズムではない。」
藤堂は淡々と続ける。
「装置SLSC-01が、かつて地球を“調律”していたリズムだ。」
同時刻、深海観測拠点《Sagami Node 7》。
掘削地点の磁場センサーが自動起動し、記録波形を送信していた。
出力は限界値の0.002ミリテスラ。
ほとんど“ノイズ”に等しいが、その形状は明確だった。
13.7秒周期の脈動、振幅変動、そして1.618の副調波。
AIが解析を終える。
《信号パターン一致率99.9%。地球磁場の変動と完全同期。》
藤堂は、画面を凝視した。
「つまり、装置が出している信号が、惑星全体に反映されている?」
「いいや。」
藤堂はゆっくりと首を振る。
「逆だ。――地球が装置を通して自分自身を鳴らしている。」
6月15日。
筑波量子地球科学センター、解析棟第3区。
大型スペクトログラフに、連続48時間分の信号ログが展開された。
可視化すると、波形群は単なる振動ではなく多層干渉パターンを描いていた。
第一層:13.7秒周期の主波。
第二層:1.618倍の副波。
第三層:2.618倍の高調波。
それらが地球の自転角速度と潮汐力に一致していた。
凪がデータを指差す。
「これは……惑星の“安定化アルゴリズム”のようなものでは?」
「その可能性がある。」藤堂は答える。
「SLSCシリーズの目的は、地殻応力の緩和だけではなかった。
惑星規模で、潮汐・気圧・磁場を位相同期させ、内部エネルギーを一定化していた。
つまり――地球を“調律”していた痕跡だ。」
だが、その出力は弱すぎた。
観測装置のノイズ限界ぎりぎり。
電位差0.3ミリボルト、振幅幅は既存電子の熱雑音と同レベル。
AIが追加解析を行う。
《推定内部エネルギー:0.00012%以下。稼働状態:Dormant(休眠)。》
凪:「活動していない……?」
藤堂:「いや、“眠っている”。」
彼は白衣のポケットからタブレットを取り出し、
最新の潮汐観測データを重ねた。
新月と満月の位相差と、信号強度の波がほぼ一致している。
潮汐周期を外部トリガーとして、装置はわずかに“呼吸”している。
「活動エネルギーは枯渇している。
だが、反応は残っている。――死ではなく、冬眠だ。」
翌朝。
国際観測網(IGO)が世界同時発表を行った。
報告書タイトルは「Global Resonance Phenomena – Phase 13.7」。
要約にはこうある。
> “地球全域で周期13.7秒の微弱振動が観測された。
> 潮汐・磁場・気圧・プレート応力の変動と位相同期。
> 波形は黄金比構造を持ち、人工起源の可能性は低い。”
ニュースはほとんど報じられなかった。
政治的にも経済的にも、意味が理解されなかったからだ。
だが、科学者たちにはわかっていた。
それは「地球の内部構造に埋め込まれた調律プログラム」の残響だった。
夜。
藤堂は観測棟の最上階にいた。
筑波の街は、静かな電光の海。
すべての灯が、融合炉からの供給によって点っている。
地球の内部の“声”を聴きながら、その光を見下ろす。
モニターには、今も13.7秒周期の波形が続いていた。
AI《Astra》が静かに報告する。
《信号強度、漸減中。ピーク振幅、前日比マイナス12%。》
「出力が落ちているな。」
《推定寿命:およそ43日。》
藤堂は、わずかに目を細めた。
「地球が、眠りにつこうとしている。」
凪:「……博士、この装置、再起動できるんでしょうか。」
「技術的には、可能かもしれない。
だが、それをすべきかどうかは、別の問題だ。」
しばらく沈黙。
やがて藤堂は静かに言った。
「この装置は、何億年も前から地球の生命活動を安定化させてきた。
我々がその沈黙を破れば、
――地球の“眠り”を終わらせることになる。」
深夜3時。
モニターの波形が一瞬だけ強くなった。
周期13.7秒、振幅が約3倍に跳ね上がり、すぐに沈静化。
Astraが報告する。
《一時的位相同期強化。トリガー源:不明。》
藤堂はその瞬間を記録しながら呟いた。
「最後の夢、か……」
AIが小さく応答する。
《状態更新:Dormant – Deep Sleep(深層休眠)。》
画面上の波形はやがて直線に変わり、
静かな光だけが残った。
装置は、眠った。
地球の鼓動は、今も深海の底で、静かに持続している。
誰にも聞こえないほどの、微弱な13.7秒の周期で。