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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17
2279/2382

第65章 海底の心臓 ― Subduction Resonator




 《しんかいΩ-II》が海面へ浮上したのは、夜明けから三時間後だった。

 船体表面は微細な泡で覆われ、熱を帯びた金属が朝の光を受けて白く光っている。

 吊り上げられた潜航艇の下から、海水が滝のように流れ落ちた。

 甲板に降ろされると同時に、整備班が酸素マスクをつけて駆け寄る。

 潜航士の凪は、ヘルメットを脱ぐと汗と海水の混じった息を吐いた。

 「……生き物みたいでした。呼吸してた。」

 誰も笑わなかった。


 サンプルは耐圧容器「Seamlock-12」に封入されたまま、

 甲板中央の移送トラックに載せられた。

 透明な強化アクリル越しに覗くと、金属片はわずかに光を放っている。

 光ではない。自己干渉反射――入射角に応じて色が変化する。

 表面に刻まれた微細な幾何線が、周期的に“呼吸”するように見えた。


 藤堂は手帳を開き、実験担当者に指示を出した。

 「減圧は禁じる。内部圧力三十八メガパスカルを維持したまま、

 分析棟まで空冷搬送。温度変化は±〇・五度以内。」


 凪がぼそりと呟く。

 「博士、あれ……まだ動いています。」

 「動いてるのではない。」

 藤堂は短く言った。

 「記憶が、まだ“解凍”されていないだけだ。」


 《かいめい改》船内、第一観測室。

 金属片の分光データがスクリーンに展開されていた。

 主成分はニッケル・シリコン複合、だが通常の準結晶とは異なり、

 原子間のエネルギー状態が常温超伝導の準安定域にある。

 電子スピン分布は自然物の三倍、整列率は百分の一単位で地磁気周期と同期していた。

 藤堂はデータを指差す。

 「これが地殻波の“吸収”反応。つまり、地震波エネルギーを音に変換して消している。」


 「音に?」凪が首を傾げる。

 「厳密には、地殻応力の逆相干渉波。

 波の形を覚え、逆位相で出力して打ち消す。

 ……ノイズキャンセリング・アース。そう呼べばわかりやすいか。」


 凪は静かに笑った。

 「地球を、静かにする装置。」

 「いや、呼吸を整える装置だ。」


 室内のスピーカーが、記録された低周波を再生する。

 ――ぼうん、ぼうん、と。

 鈍い鼓動のような音。

 それは海底から聞こえた装置の磁場振動を、可聴域に変換したものだった。

 聞いていると、心拍と音が一致していく。

 藤堂は目を閉じた。

 「この音、地殻のストレス波と一致してる。

 つまり、この装置は“地球の心臓”と同じリズムで動いていた。」


 数日後。サンプルは筑波の量子地球科学センターへ搬送された。

 施設は極低温チャンバーと融合炉直結のエネルギー供給棟を備え、

 金属サンプル解析のための“地球上で最も静かな部屋”と呼ばれていた。

 装置は直径六メートルの真空槽に封入され、

 外壁には高温超伝導コイルが配置されている。


 凪はガラス越しにその球体を見つめた。

 「こんな場所で、地球の一部を研究しているって変な感じです。」

 「地球を、地球から切り離すことはできない。

 だが、観測するたびに“違う地球”が見える。」

 藤堂の声は穏やかだった。

 「それが、我々の仕事だ。」


 融合炉から供給されるエネルギーが、ゆっくりとチャンバーに流れ込む。

 磁場強度〇・〇五テスラ。

 加熱は行わない。目的は刺激ではなく“共鳴”の確認だ。

 電磁波が低周波で走る。

 最初は何も起きなかった。

 が、二分後――。


 金属片の表面に、微細な光の模様が浮かび上がる。

 青、白、そして薄い金の線。

 それらが干渉し、まるで生体の脈管のように複雑にうねった。

 凪が息を呑む。

 「映像、録画を!」


 モニターには、地球断面に似たパターンが現れていた。

 マントル、地殻、外核――そして地表の大陸配置。

 時間の流れとともに、その形が変化していく。

 プレートが移動し、海が生まれ、大陸が裂ける。

 映像の変化速度は、実際の地球の地質変動を数百万倍に圧縮したものと一致していた。

 「これは……記録だ。」

 藤堂の声が震えた。

 「この装置は、地球の地殻活動をリアルタイムで記録していた。」


 だが、映像の最後は暗転した。

 黒い波紋だけが広がり、やがて静止する。

 解析AIが告げる。

 《最終更新:三億二千万年前。以後、エネルギー入力なし。》


 藤堂は静かに言った。

 「装置は……死んでいる。」


 凪はスクリーンを見つめ続けた。

 映像の中で、最後のフレームが微かに光る。

 それは大陸分裂直前の地球――パンゲアの姿。

 その中央、今の日本列島の原型にあたる位置に、

 微かな光点があった。

 まるで、そこに“心臓”があったかのように。


 その夜。観測棟の外は霧雨だった。

 夜空に浮かぶ月が、薄く滲んでいる。

 凪は記録端末に音声を吹き込んだ。


 > 「Artifact-SLSC-01:分析中。

 > 内部構造は熱流・磁場・音波の多層干渉体。

 > 地球の鼓動と同周期。

 > 装置の終端記録は三億二千万年前。

 > そのとき、何があったのか……。」


 装置は沈黙している。

 だが、その沈黙の奥で、確かに“何か”が記録されていた。

 地球が自らの変動を写し取るように、

 惑星そのものが記憶を残す構造体だったのだ。


 藤堂は独り言のように呟く。

 「もしこの装置が心臓なら、地球は一体、誰の身体なんだろうな……。」


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