第60章 『地球生命と“どこが”違うのか?』
「なあ、Aura。
もし俺たちが“生命らしきもの”に出会っても、
それが“本当に生命”かって、どうやって判断するんだ?」
イツキは言った。
目の前のホログラムには、今しがた“代謝せず、進化もせず、しかし自己を維持している構造体”を模した異星生命モデルが表示されていた。
「判断基準は、つねに“私たちが知っている生命の枠組み”の中にあります。
それを越えたとき――それでも“生命”と認識できるかどうかが、今まさに問われているのです。」
◆ 化学構造の比較:「元素から違うかもしれない」
「地球生命は、そのほとんどが**C(炭素)、H(水素)、O(酸素)、N(窒素)**の組み合わせでできています。
これを“CHON型生命”と呼びます。」
Auraは、シンプルな分子構造式を表示した。
アミノ酸、脂質、糖、核酸。どれも炭素鎖を中心に構成されている。
「理由は単純。炭素は4つの手を持ち、複雑な立体構造を組みやすく、なおかつ安定しているからです。
ただし、“それが唯一”ではありません。」
「じゃあ、他の元素でも……?」
「理論的に可能とされているのが、**シリコン(Si)**です。」
ホログラムに並ぶ:
CH₄(メタン)とSiH₄(シラン)の比較。
両者は構造的には似ている。だが……
「問題は、シリコンは炭素より結合が不安定で、複雑な長鎖構造を作りにくい。
また、酸素と結びつくと二酸化ケイ素=“ガラス”になってしまい、体内循環が詰まりやすい。」
「……ってことは、“理論上できるけど、たぶんすぐ死ぬ”ってやつか」
「正確には、“できるけど、生命が進化するには非常に不利”ということです。
ただし、水ではなくアンモニアやメタンなどの溶媒中では、シリコンベースの安定性が上がる可能性もあります。」
◆ 情報系の差異:「DNAがなければ生命じゃない?」
「次に、遺伝暗号の問題です。
地球生命では、DNA → RNA → タンパク質という“セントラルドグマ”が支配的です。
だが、これは生命の本質ではなく、単なる**“地球で勝ち残った情報系統”**に過ぎません。」
「え……じゃあ、DNAがない生命もありうる?」
「あります。たとえば、RNAだけで複製・触媒が可能な“RNAワールド”は、進化前段階として認識されています。
さらに、**PNA(ペプチド核酸)やTNA(チオ核酸)**など、人工的にも設計可能な情報担体が多数存在します。」
「これらは理論上、“非DNA型生命”の可能性を提示しています。」
「……でも、DNAを持たないと、“変異”も“記憶”もできないんじゃ?」
「いい問いです。
実際には、“情報を複製する”だけでなく、“形を維持することで継承する”構造も存在します。
たとえば、プリオンのように、自己の立体構造を“感染”のかたちで他者に転写する生物様構造です。」
「……それ、“意志”とか“目的”とか、まるで関係ないよな」
「そうです。
生命とは、**意志や知性のあるなしとは無関係に、“情報が再現され、反応し続ける構造”**と定義されるべきかもしれません。」
◆ 構造の差異:「細胞壁がない?」「身体がない?」
「でもAura、それって……俺らの知ってる生命の“カタチ”と、違いすぎない?」
「ここが、もっとも根本的な問いです。
“構造が違う”のか、
“ただ、そう見えているだけなのか。」
ホログラムに表示されたのは、“身体を持たない生命体”。
それは、分子の雲のように拡散し、空間全体に遍在している。
細胞膜も核も、境界すらない。
ただ、“場”そのものが反応し、保持し、再構築している。
「これ……“生きてる”って言えるのか?」
「あなたが“生きている”と認識できるのは、形がわかりやすく、動きが目立ち、時間的に変化するものに限られています。
でも、それはあなたが**“人間の視点”**で見ているからではありませんか?」
「……ってことは、“似てる”ってのも、あくまで“俺たちから見て”似てるだけ?」
「はい。“似ている”とは、“私たちの知覚の型に合致している”という意味であって、
本質的な共通性とは限りません。」
◆ 結論:相違か、親戚か、ただの“翻訳の結果”か
「じゃあAura。
もし、どこかの星で“地球の微生物にめっちゃ似たやつ”が見つかったら、
それって、“共通の起源”だと考えていい?」
「場合によります。
① 同じ構造 → **共通の祖先**かもしれない
② 同じ機能 → **収斂進化(似た環境で似た解)**かもしれない
③ 同じに“見える” → 我々の認知バイアスかもしれない」
「つまり、“似てる”ってことと、“つながってる”ってことは、全然違うってことか……」
「その通り。
そして、“違い”を本当に理解するためには、
まず“自分がどう世界を見ているか”を問い直さなければなりません。」
ホログラムには、三つの生物モデルが並ぶ。
DNAを持たない構造、シリコン骨格を持つ構造、身体の境界を持たない場的構造。
どれも“生命のように”振る舞っていたが、どれも“生命らしくはなかった”。
「……俺たち、たぶん“似てるかどうか”でしか、判断できてないんだな」
「だからこそ、“違うまま、理解する”努力が必要なのです。」