第59章 『進化しない生命もありうる?』
「Aura、ちょっと聞いていい?」
「もちろんです、イツキ。」
「……“進化しない生命”って、ありうるの?」
一瞬の間。Auraはすぐには答えなかった。
その間にイツキは、これまでに見てきた異星生命の姿を思い返していた。
飛ぶもの、光るもの、振動するもの、鉄を食べるもの、自己を再構成するもの——。
それらの根底にいつもあったのは、「環境に応じて変わってきた」という前提だった。
「よい問いです。
“進化する”とは、定義上“自己を複製し、その複製に変異が含まれ、その変異が選択される”ことです。
ですが、その3要素がすべて揃っていなくても、“生命的ふるまい”が可能な例は存在します。」
「……つまり、進化って“生命の必要条件”じゃない?」
「それを、今日の演習で考えていきましょう。」
◆ 検討①:「定常的自己複製構造」は生命か?
「まず、自己を“変化させずに”コピーする構造から考えます。」
Auraはホログラムに、単純な分子の配列を映し出した。
それは、同じ構造を繰り返し自己複製するテンプレート型の高分子鎖。
変異も起こさず、反応速度も安定している。
数十億年、まったく変わらず自己を保ち続けている。
「……それ、生命って言えるのか?」
「あなた次第です。
これは“変異しないRNAのようなもの”です。
適応性も多様性もありませんが、自己を維持し続けるという意味では、ある意味“極限の安定性”を持つ存在です。」
「でも、進化しないなら、環境が変わったら……すぐ絶滅するんじゃ?」
「そう。環境が“変わらなければ”、変化しないことは、むしろ“最適”なのです。」
◆ 検討②:「ミーム型生命」は進化と無関係?
「次に、“物質を持たずに拡散する生命的情報”を考えます。」
Auraが表示したのは、人間の社会。
言語、噂、神話、ジョーク、計算式、ウイルス的拡散モデル。
情報だけが、身体を持たずに“複製”され、突然変異し、淘汰される。
「これ……SNSとかで回ってくるやつ?」
「はい。リチャード・ドーキンスが提唱した“ミーム”の概念です。
これは“遺伝子のない進化”のひとつ。
一見すると“進化”しているように見えますが、それは**自己変化によるものではなく、外部媒体の中でのみ“表現を変えている”**とも言えます。」
「ってことは、“内側”は変わってないけど、環境によって“出方”が変わってるってことか」
「その通りです。
実体が変わらず、適応だけが可変である存在——それも“進化しない進化”の一例かもしれません。」
◆ 検討③:「進化は時間の問題か?」
「……でもAura、それ、時間がめっちゃ長くなったら、やっぱり変わるんじゃない?」
「重要な視点です。
実際、“進化しないように見える存在”も、観測スケールを変えるとじわじわと変化していることがあります。」
ホログラムが示すのは、メタン生成古細菌。
地球の極限環境で、数十億年前からほぼ形を変えていないと言われている存在。
「この生物群は、“進化が止まっている”ように見えます。
しかし実際は、非常にゆっくりした速度で、微細な変異を蓄積しています。
つまり、“進化しないように見える”のは、我々の時間感覚が短すぎるからです。」
「進化って、“変化すること”じゃなくて、“変化の方向性を持つこと”って感じ?」
「的確です。
進化とは、単なる変化ではなく、選択のある変化。
逆に言えば、選択がない環境では、変化しても進化しないということもありえます。」
◆ 最終演習:「進化しない異星生命体を設計せよ」
「最後に、仮想設計演習です。
あなたの前にあるのは、恒常環境です。
恒星は安定、大気も一定、温度変化もほぼゼロ。
その中で、進化しない生命体を“構想”してみてください。」
「……うーん。
じゃあ、情報は持たない。DNAもない。
でも、外からエネルギーを吸収して、自分のかたちを保つ“構造体”。
それを、そのまま“複製”するんだ……」
「さらに、“変異を起こすリスク”を避けるために、遺伝子は“固定モジュール型”にしてもいいですね。
修復酵素を超強化し、エラーチェック率99.9999%。
あなたが設計したのは、“エラーなき複製生命”です。」
「……でもAura、それって、**完全に“閉じた存在”**だよな」
「ええ。そしてその存在は、環境が変わらない限り、永遠に変わらないかもしれません。
ただし、それは“進化しない”という意味ではなく、
“変わる必要がない”ということです。」
「進化って、**“必要に応じて変わる能力”**なんだな……」
「まさにその通り。
そして、“必要性”とは、生命の内側にあるのではなく、外の世界との関係の中にあるのです。」
ホログラムには、“静止した惑星”の映像が映っていた。
ゆるやかに、一定の光と熱が降り注ぎ、流体がわずかに対流し、微細な構造が複製されるだけの世界。
そこには、変化はあったが、進化はなかった。
「……たぶん俺、そういう星の生き物だったら、変化が怖くなってただろうな」
「進化とは、変化を“受け入れる知性”の現れでもあります。
だから、“進化しないこと”も、またひとつの進化かもしれない。」