第58章 『生命の起源は地球だけ?』
「ねえ、Aura。……“最初の生命”って、どこで生まれたの?」
演習が一区切りしたタイミングで、イツキはぽつりと問いを投げた。
前章で自分なりに代謝する仮想生命を設計したあと、ふと湧いてきた疑問だった。
「良い問いですね。では、いくつかの“起源仮説”を、順に見ていきましょう。」
Auraの声と共に、ホログラム空間に3つの風景が同時に展開された。
① 深海熱水噴出孔仮説(Hydrothermal Vent Theory)
海底深く、黒くうごめく熱水の柱。
その周囲には、微生物、管状の生物、バクテリアのマット。
生命が存在し得ないと思われていた“深海の闇”の中で、明確な生態系が構築されていた。
「ここでは、マグマの熱で加熱された海水が、鉱物成分と化学反応を起こしながら噴出します。
これによって、鉄・硫黄・水素・CO₂などが集中し、化学エネルギー源として使われる“非光合成型の代謝環境”が成立します。」
「つまり……光がなくても、エネルギーさえあれば生命は生まれる?」
「そういうことです。現実に、“鉄酸化細菌”や“メタン生成菌”はこうした環境で活動しています。」
② RNAワールド仮説(RNA World Hypothesis)
次に映し出されたのは、粘性のある液体の中で揺らぐ微細な分子たち。
中でも一群の鎖が、くるりと折り畳まれて立体的な構造を取る。
「こちらは、“生命の最初はRNAだった”という仮説です。
RNAは、情報の保存(DNAのように)と、化学反応の触媒(酵素のように)の両方の性質を持ちます。
この二重の機能が、“複製し、進化する化学構造”の出発点だったという考えです。」
「……ってことは、DNAもタンパク質も、あとから?」
「はい。“生命”が最初から今のような複雑さを持っていたわけではなく、むしろ進化によって“より不安定な仕組み”から積み重ねられてきたのです。」
③ パンスペルミア仮説(Panspermia Hypothesis)
画面が切り替わり、宇宙空間を漂う無数の小天体たちが現れた。
その中のひとつが、大気を燃やしながら地球へと降りてくる。
「この仮説では、生命の起源は“地球の外”にあるとされます。
隕石や宇宙塵、さらには微生物自体が、宇宙空間を経て地球に到達した可能性です。」
「それって……火星とか、他の星からってこと?」
「はい。実際、火星由来の隕石ALH84001などが“微生物の化石かもしれない”と議論されたのはこの文脈の一部です。」
「じゃあさ、Aura……もし火星で、“地球の初期生命にそっくりなもの”が見つかったら、どうする?」
「それは非常に大きな問いです。
“そっくり”ということは、同じ“祖先”から分かれた可能性があります。
つまり、地球と火星が“進化的に兄弟関係にある”という仮説が浮かびます。」
「……それって、“地球の生命が火星から来た”ってこと?」
「あるいは、その逆かもしれません。
どちらにしても、**共通祖先(LUCA)**の存在が鍵になります。」
表示が変わる。
系統樹の根元、“LUCA”と呼ばれる点。そこから、真核生物・真正細菌・古細菌の三つの大きな枝が広がっていく。
「LUCA(Last Universal Common Ancestor)=“最後の共通祖先”は、地球生命すべてが進化の過程で辿った最も古い“交差点”です。
ただし、LUCAは“最初の生命”ではなく、“現在の生命系統の最も若い共通祖先”です。」
「……ってことは、LUCAの“前”がいるってこと?」
「はい。LUCAの前段階には、複数の原始系統が存在した可能性があり、それらの中の一つが“勝ち残った”。
逆にいえば、“他にもあったのに、すべて淘汰された”可能性もあります。」
イツキは、ゆっくりと深呼吸した。
画面のなかで、系統樹の根が、惑星の岩層のように重なっていく。
「……もしその“前”が、火星にまだ残ってたら?」
「それが、“地球外LUCA”仮説です。
つまり、LUCA以前の祖先が火星に生まれ、何らかの形で地球に到達し、地球の環境で進化を加速させた。
火星には“兄”が、地球には“弟”が残った、という仮説です。」
「……うわ、なんか、自分のルーツがひっくり返る感じする」
「それが“起源”という問いの本質です。
私たちは、自分がどこから来たのかを知ることで、自分が何者なのかを再定義しようとする。」
画面には、今なお答えの出ていない問いが並ぶ:
•生命は、一度だけ生まれたのか?
•生命のレシピは、普遍的なのか?
•「起源」とは、時間の問題か、場所の問題か?
「ねぇAura。……“起源”って、そんなに大事なのかな?」
「それは、“偶然と必然”を区別したいという人間の本能かもしれません。
起源が“偶然”なら、“私たちはたまたまいる”だけ。
起源が“必然”なら、“宇宙には私たちのような存在が他にもいる”可能性が高まります。」
「なるほど。
でもどっちにしても、俺らは、“そこから続いてる存在”なんだよな?」
「はい。
そして、あなたは“自分がどこから来たか”を問うことで、次に“どこへ向かうか”を考えるようになります。」