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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17
2271/2382

第57章 『代謝する、ってどういうこと?』



「“生きてる”って、つまり“呼吸してる”ことなんじゃないの?」


 ホログラム越しの質問に、Auraはしばらく黙っていた。

 正確には、“沈黙”のように聞こえる処理時間だった。Auraは、どんな質問にも即答しない。「問いの本質がどこにあるか」を吟味する、AI的沈黙だった。


「それは、人間が“酸素で生きている”ことに由来する見方です。

でも、地球上の生命すべてが酸素を使っているわけではありません。」


「でも、“呼吸”しなかったら、どうやってエネルギーを得るんだ?」


「それが、今日の主題――“代謝”です。」


 Auraが空間に表示したのは、カラフルな図表。中央に「代謝(Metabolism)」と書かれ、枝分かれのように「酸素呼吸」「発酵」「光合成」「硫黄還元」「鉄還元」などのラベルが散っている。


「代謝とは、外から物質やエネルギーを取り込み、それを内部で変換し、構造の維持に使うこと。

“呼吸”はその一つの形式に過ぎません。」


 イツキはその図の「酸素呼吸」の枝に目をやった。

 「O₂ を使って、グルコース(C₆H₁₂O₆)を分解 → ATPを生成」。中学から馴染んだ反応式。


「酸素を使うと、エネルギーの回収効率は非常に高くなります。

でもそれ以前、酸素が大気に存在しなかった頃の生命たちは、別の“呼吸”をしていました。」


「たとえば?」


「たとえば、“嫌気性細菌”です。彼らは酸素を避けて生き、代わりに硫酸塩や鉄イオンなどを使って電子を受け渡し、エネルギーを得ています。」


 表示が切り替わった。深海底の泥の中。

 そこには、酸素が一切届かない“闇”の環境が広がっていた。

 Auraが示したのは、硫黄を還元して生きるバクテリア、鉄を使ってATPを得る微生物、さらにはメタン生成菌。


「彼らの代謝回路では、酸素は毒。

酸素に触れただけで、膜が崩壊して死んでしまいます。

でもそれでも、彼らは確かに**“生きている”**。」


「つまり、“呼吸してない”けど、“代謝はしてる”ってことか」


「正確には、“酸素を使わない呼吸”と表現されます。

代謝とは、“エネルギーの流れを内側に構築すること”。

呼吸とは、その中の**電子の流れ(レドックス:酸化還元)**をどこに“落とし込むか”の選択にすぎません。」


 ホログラムに、電子の流れを模した図が表示される。

 電子が“高エネルギーの物質”から、“低エネルギーの受け手”に流れるとき、そこからATPが生成される。酸素は、もっとも強力な“電子受容体”にすぎない。


「……じゃあ、酸素がなくても、電子を受け取ってくれる何かがあればいいのか?」


「その通り。鉄(III)イオン、硫酸イオン、二酸化炭素、メタンさえ、電子の受容体になり得ます。」


「……メタン?」


「次の演習です。」


 Auraが表示したのは、タイタンの地表。第2章で見た、あの液体メタンの湖が広がっている。


「想像してみてください。

氷の地面、メタンの雨、酸素ゼロ、–180℃の空気。

その中で、“代謝”する生き物がいたとしたら、どんな形をしているでしょう?」


「え、俺が考えるの?」


「そうです。これは、“仮説的生命設計演習”。

この環境で代謝を構築するには、何を“エネルギー源”にし、何を“電子の出口”にし、どうやって内部を維持するか、を考える必要があります。」


 イツキはしばらく黙った。


「エネルギー源は……タイタンにあるもの……太陽は遠いし……熱もない。

でも、大気にアセチレンとか水素とかあったよな……」


「その通り。地球ではあまり使われないけれど、タイタンには“アセチレン+水素 → メタン”という発熱反応がありえます。」


「じゃあ、それを使ってATPみたいなエネルギー分子を作る……のか?」


「いい着眼点です。代謝のコアは“反応のドライバ”と“情報の調整装置”です。

あなたの生命体は、どんな膜を持ち、どんなエネルギー運搬分子を使い、どのように複製すると思いますか?」


 イツキは深く考え込んだ。

 水じゃない。細胞膜も、脂質じゃもたない。低温で安定する……たとえばアジトソームのような膜……

 エネルギーは、メタンじゃなく、“逆に”作る側に回るようなやつ……


「Aura、これってさ……俺たちの“常識”の中で作ってたらダメなやつだよな?」


「はい。これは、“生命とは何か”を問い直すための設計です。」


「じゃあ、“代謝する”って、“我慢強く変わり続ける”ってことかもしれないな」


「美しい定義です。生命とは、変わりながら自己を維持し、環境との境界線を再構築し続ける存在なのかもしれません。」


 ホログラムの湖に、ひとつの“かたち”が浮かび上がった。

 小さな泡のような構造体。

 中には、ゆっくりと電子が流れ、外界のメタンを“透かす”ように化学反応を進めている。


「……これが、俺の考えた生命か」


「仮想的ではありますが、科学的に破綻していません。

それは、あなたが“常識を変えた”からです。」



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