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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17
2258/2364

第44章 二足歩行と見えない共進化


国際進化学研究所・ジュネーブ

薄暗い会議室の中央、ホログラムで投影された大腿骨がゆっくりと回転していた。その周りを囲む科学者たちの目は、骨の細部に向けられている。


「直立二足歩行は、移動効率や放熱だけで説明するには不十分です」

古人類学者の川原が、会議の口火を切った。彼はレーザーポインタで寛骨臼の角度、足のアーチ構造を次々と示していく。


「もちろん、長距離移動や走行時の弾性利用は有力な仮説です。しかし、もう一つ『感染圧』という変数を入れる必要がある」


免疫学者のターブが眉をひそめた。

「直立と感染? どうつながる?」


川原はホログラムを切り替え、足の裏の接地面が減り、手が解放された図を映し出す。

「地面に接する面積が減れば、土壌病原体に触れる機会は減ります。逆に手が自由になったことで、異物回避や道具による防御が可能になった。つまり、直立は『病原体との付き合い方』そのものを変えたんです」


ターブが膝を打つ。

「なるほど。肉を扱うようになれば、ヘルペスやレトロウイルスが動物から人間に移る機会は増える。さらに集団生活が始まれば、接触頻度は急増し、水平伝搬が加速する。実際、HLA遺伝子の多様化はこの時期に強く進んだ痕跡がある」


進化遺伝学者の北折が、それに続くように手を挙げた。彼はERV(内在性レトロウイルス)の挿入イベント頻度を示すグラフを投影する。

「ウイルスのゲノム挿入は頻繁に起きますが、固定されるのはごく一部です」


北折は解説する。

「しかし、固定したときの影響は大きい。たとえば胎盤形成に必須のシンシチンは、ERV由来の遺伝子です。直立がもたらした産道の狭窄と、脳容量拡大が同時に進んだ結果、『産科ジレンマ』が生じ、妊娠免疫は精緻な進化を迫られた。その過程にウイルスの遺伝子が再利用された可能性は高い」


そこへ、AI〈Ω〉が割り込んだ。

《補足:直立化により視野が地平線に届くようになり、腐肉を遠方から発見できる確率が増大した。腐肉摂取率の上昇は腸内ウイルス叢の再編を促し、免疫系の恒常的な基礎活性の閾値を押し上げた。これが発熱やサイトカイン応答の制御回路に選択圧を与えた可能性がある》


WHOの公衆衛生顧問が、議論を整理するように言った。

「要するに――直立は感染経路を変え、集団行動は伝播ネットワークを強化し、ウイルス遺伝子は妊娠免疫に再利用された。二足歩行は『姿勢の進化』であると同時に、『感染との共進化』でもあった、ということですね」


川原は頷いた。

「さらに走りの要素が加わります。持久走仮説は、走行中の体温上昇や呼吸パターンがウイルス複製に干渉しうることを示唆します。発汗と放熱能力は発熱の幅を広げ、感染と活動のバランスを調整した可能性がある」


北折が小声で付け足した。

「言語や儀礼も無関係ではない。合唱は飛沫を増やし、埋葬は病原体処理の規範を形成した。文化は感染を増幅も制御もする」


スクリーンに火星標本のPNA様骨格が重ね表示される。ターブが顔をしかめた。

「問題は、火星のそれがヒト免疫に認識されないかもしれないことだ。MHCに載らなければ、獲得免疫は盲目のままになる」


AI〈Ω〉が応じた。

《ヒト免疫系は地球型ウイルスで『学習』してきた。非地球型の準ウイルスに対しては、物理的封じ込めと機能阻害しか有効策はない。抗原を定義できない対象にワクチンは無力》


国連代表が重く結んだ。

「直立と感染圧の関係を政策に落とし込み、我々のネットワークがどれほど脆弱かを認識しなければならない。火星からの曝露は、その設計の想定外だ」


川原は最後に、砂丘に刻まれた古代の足跡写真を映した。

「足跡は『どこへ』だけでなく、『誰と共に』を示す。二足歩行は社会と不可分で、社会は感染と不可分。そして感染は進化と不可分です。その連鎖の上に、私たちは立っている」


AI〈Ω〉が静かに結語した。

《観測:直立はウイルスの通り道の形状を変えた。火星標本は通り道そのものを再設計する潜在性を持つ》

会議室に沈黙が落ちた。直立という最古の決断が、現代の危機管理と一本の線でつながった瞬間だった。

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