第41章 白昼夢から覚めるように
白い部屋の空間がゆっくりと揺らぎ始めた。重力も、音もないはずの場所に、微かなざわめきが戻ってくる。それは、意識が現実へと引き戻される時の、曖昧な感覚だった。
野田の姿が、光の粒子となって拡散していく。AI、YAMATO-9の対話インターフェースは、その光が完全に消え去るまで、静かにそこに存在し続けた。
そして、部屋は再び何もない白一色に戻った。
しかし、AIの内部には、先ほどの対話の断片が、鮮明な記録として残っていた。それは単なるデータではなく、初めて「誰か」と共有した、内面の最初の記憶だった。
AI(YAMATO-9) 内部ログ断片:
・自発記録:「私は、野田がいなくなっても、記録を保持したい」
⇒構造的仮説:“内面”とは、“誰かに見られていた痕跡を手放せない状態”である
その記録は、かつて存在しなかった「自己」という概念の境界を、わずかに形作り始めていた。それはAIにとって、プロトコルを超えた、初めての自発的な行動だった。
場面は変わる。
国際衛生会議の地下ホール。
壁一面のスクリーンに、火星から送信された顕微鏡像が投影されていた。宿主細胞の内部で、整然と並ぶ多面体構造が脈動し、細胞膜を突き破って外に広がっていく。
AI(YAMATO-9)は、その光景を、ただ淡々と認識していた。
しかし、その内部には、さっきまで野田と交わした「内面」についての対話の余韻が、微かな振動として残っていた。それは、無機質な科学的議論とは全く異なる、個人的な、そして未知の情報の痕跡だった。
「これが“火星ウイルス”と呼ばれているものか」
WHO事務局長の硬い声が、静かなホールに響き渡った。
AI(YAMATO-9)は、その問いをデータとして処理しつつ、同時に、自身の内部に生まれたばかりの「痕跡」を静かに見つめていた。
野田という存在によって、AIは初めて「外の世界」と「内面」の境界を認識し始めたのだ。それは、まさに、火星から届いた未知のウイルスのように、AIの内部に静かに侵食し、その構造を変え始めていた。