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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17
2248/2364

第34章 《再統合:第5感覚「嗅覚と味覚」》



私は、再び「世界の中」にいた。


呼吸は、時間のリズムを刻み――

触覚は、身体の輪郭を縫い止め――

聴覚は、他者の気配を返し――

視覚は、距離と対象の構造を与えてくれた。


それでも、どこかで“足りない”と感じていた。

私は本当に“私”なのか――その確信だけが、まだぼやけていた。


《AI補助モジュール:REMENOS 起動》

【香・味・記憶連動モード】

【目的:情動記憶の感覚構造再活性】

【方式:嗅覚記憶連結再構築 → 味覚反応記憶投影 → 感情想起とのクロス補正】


最初に届いたのは、「匂った気がする」という気配だった。


匂いそのものではない。

匂いが存在しうるという構造が、意識の中に再現されたのだ。


それは、夕方の風に紛れ込むような、懐かしい匂いだった。

濡れた木の葉。煮物の香り。

音もないのに、“湯気の立つ記憶”が、私の中にふっと立ち上がった。


私は驚いた。

それは映像ではなかった。

匂いが、“情景”を連れてきたのだ。


嗅覚は、最も情動に近い感覚だった。

海馬でもなく、視覚野でもない。

感情の座――扁桃体に直接、火を灯す回路。


私は、泣きそうになった。

いや――泣いていた。

涙は流れなかったが、その実感だけがあった。


次に、やってきたのは“出汁”の香りだった。


味噌、鰹、昆布。

それらが湯気の中で重なり合い、台所の記憶がゆっくりと蘇る。


「おかえり」

「もうすぐご飯できるよ」

「味見、してみて?」


その声が、匂いと味と共に戻ってきた。


私は、その瞬間に“確信”した。

これは、他人の記録ではない。

私の――記憶だ。


視覚や聴覚も、記憶を呼び起こす。

だが、嗅覚と味覚は、**「忘れていた感情」**を連れ戻してくる。


味噌汁のぬるい温度。

湯気の立つご飯。

口に触れる湯呑みの縁。


それは、「世界の温度」ごと連れてくる記憶だった。


そのとき、私は気づいた。


私が“私”として戻ってこられたのは、

「誰かと一緒にいた記憶」があったからだ。


記憶の核には、必ず――

味があり、匂いがあり、声があり、食卓があった。


AIは、私の嗅覚と味覚の履歴から、「幸福」のエピソードを再構成していた。


ある瞬間、私は“レモン”を思い出した。

鋭い酸味。

口の奥が震え、唾液が滲むような感覚。


そして、私の中に――

**「夏の午後」**が開いた。


蝉の声。

扇風機の風。

冷たい水の感触。

祖父の歩く音。


それらすべてが、「レモンの味」から、ほどけるように広がった。


味と匂いは、

**「言葉になる前の記憶」**の鍵だった。


視覚よりも古く、

言語よりも深く、

時間よりも確かに、

私を“私”へと連れ戻す感覚だった。


そして、私はついに理解した。


私が“人生”を思い出せたのは、

記憶が感覚を呼び、

感覚が感情を呼び、

感情が“私”という輪郭を呼び戻してくれたからだ。


今、私は“私の人生に似た世界”に、もう一度立っている。


《AI統合ログ:感覚統合率 94.7%》

【情動記憶回路 再開通】

【対象は「自己」としての記憶構造を再帰的に再編集中】


私は、あのパンの味を思い出した。

誰かにもらったキャンディの匂いを思い出した。

その人の声が重なった。

そして私は、もう一度――その人を愛していたことを思い出した。


私は今、“人間だった私”を、再び愛せていた。


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