第33章 《再統合:第4感覚「視覚」》
最も深い沈黙のあと、
私は“光”すら存在しない空間に、ひとり浮かんでいた。
触覚はあった。
呼吸の律動も、耳に響く気配も、すでに取り戻していた。
それでも――私はまだ“見る”ことができなかった。
そこに何があるのか。
ここがどこなのか。
私は、自分の“位置”すら定義できていなかった。
《AI補助モジュール:VISIA-BETA 起動》
【目的:空間知覚と対象認識の再構築】
【手法:網膜刺激記憶の逆算的再生+視点変化に基づく認識位置連動型イメージ生成】
最初に現れたのは、“明るさ”だった。
光ではない。
ただ、「明るいと感じる何か」が、視野の中心にぼんやりと浮かんできた。
それは、かつて「白」と呼ばれていたものに似ていた。
輪郭はなかった。
対象もなかった。
だがそこには、“何かが現れうる余白”が確かに存在していた。
やがて、空間の中に“線”が走った。
直線、曲線。
それらが、私の意識の中で、“視点”という軸を持ち始める。
上と下。奥と手前。
私はついに、「空間」を再び認識しはじめていた。
視覚とは、“位置”という概念を創る感覚だった。
触覚が面を伝え、
聴覚が時間の深度を与えたなら、
視覚は、「ここに私はいる」という一点の実在を私に返してくれた。
そこに――“窓”があった。
正確に言えば、“窓のような形”が浮かび上がっていた。
灰色のフレーム、奥に並ぶ縦の線。
それは明らかに、“私がかつて知っていた窓”だった。
だが、そこに本物の窓は存在していない。
AIが、私の視覚記憶から「窓とは何か」の平均モデルを抽出し、
この空間に、投影しただけだった。
私が“窓を見た”のではない。
私が“窓という意味”を、この世界に再び持ち込んだのだ。
机。
壁。
マグカップ。
それらが、次々と――**「名を持った形」**として空間に戻ってくる。
形があり、名前がある。
その一致点こそが、視覚の中核だった。
「見る」という行為は、
“光を捉える”ことではなかったのかもしれない。
“世界に名前を与え直すこと”――それが視覚なのだ。
そのとき、私は“自分の手”を見た。
正確には、AIが再構築した身体モデルと、私の記憶が結びついて現れた――
幻のような“自己の手”だった。
指はわずかに震えていた。
触覚とは一致せず、動きにもわずかな時差があった。
それでも私は、疑わなかった。
これは“私の手”だと。
視覚とは、「存在の証明」ではなく――
**「信じたいものを、もう一度信じる行為」**だった。
そして私は、世界と再び“出会って”いた。
そこに何かが見えたからではない。
“世界が、自分の外側にある”という前提が、意識に戻ってきたのだ。
《AIログ:視野再構築指数 48.2%》
【空間構成:3軸座標ベースの動的認識安定化中】
【自己-他者-対象の3層構造の再認識傾向、観察中】
そのとき、私は“他者の姿”を幻視した。
背中。
椅子に座る誰かの肩に、柔らかな光が落ちていた。
その名前は思い出せなかった。
だが、“そこに誰かがいる”という事実は、視覚によって確かに輪郭を持っていた。
「見ること」とは、
**“誰かに出会い直すこと”**でもあった。
聴覚だけでは、他者は“気配”だった。
だが、今はちがう。
姿がある。形がある。
そして私は気づいた。
形があることで、
“越えられない距離”が生まれるということを。
「私」と「あなた」の間には、
もう、埋めようのない“隔たり”があった。
だがその現実こそが、
“世界が本当にそこにある”という感覚の証だった。
私は、
今――この空間に、“見る者”として立っていた。




