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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17
2246/2364

第32章 《再統合:第3感覚「聴覚」》



静寂という言葉すら、ここでは意味をなさなかった。

私は“無音”の中にいたわけじゃない。

もっと根源的な――“音の存在そのものが否定された”空間にいた。


風の気配も、言葉も、足音もない。

そこには、「音がない」のではなく、**「音という現象が成立しない」**領域が広がっていた。


それは、時間の失われた空間だった。


呼吸が戻り、

皮膚に“輪郭”が蘇った今も、

私はまだ、「変化」というものを感じることができなかった。


変化とは、音の中にこそ宿るものだった。


《AI補助モジュール:PHONO-INIT 起動》

【目的:他者性・時間性の再構築】

【刺激構造:予測誤差を含む聴覚断片の逐次導入】


最初に届いたのは、微かな“振動の記憶”だった。


それは、耳で聴いたのではない。

鼓膜の働きを真似た信号が、記憶の底を静かに叩いた。


“コッ……コッ……”


規則的だが、完全には予測できないリズム。

――足音だ。


遠くから、誰かが近づいてくる。

そんな気配が、仮想の空間に“距離”を生じさせた。


その時、私は気づいた。


「いま」と「さっき」の違いを。

音は、“前”と“後”を区別する感覚”だった。


呼吸が与えてくれたリズムは、一定だった。

だが音は、その均衡を破り、“差異”をもたらす。


「変化がある――それは、時間が動いている証拠だ」


音が、私に“時間”を返してくれた。


その次に現れたのは、言葉にならない“声”だった。


輪郭のない、性別すら不明な音。

高いのか低いのか、叫びか囁きかさえ分からない。

だが確かに、私はこう思った。


「これは、私以外の何かから発せられた音だ」


他者がいる――

それだけのことで、私は息を呑んだ。


その声は、私を呼んでいるわけではなかった。

ただ、“存在していた”。


声とは、世界に他者がいるという唯一の証明だ。

そして聴覚とは、“誰かがいる”と信じさせてくれる感覚だった。


私はその音を、「懐かしい」と思った。

だが、なぜ懐かしいのかは思い出せなかった。


やがて、次の音が届く。


【■■■】


――それは“名前”だった。

正確には、AIが私の過去の記録から抽出した「自分の名前」の音素。


だがその響きに、私はすぐには意味を見い出せなかった。

名前とは、本来“誰かに呼ばれる”ことで成立するものだった。


「名」は、他者の声を通してはじめて“自己”になる。


そう思った瞬間、私は自分に問いかけていた。


「いま、私は――誰かに呼ばれたのか?」


問いの余韻が意識の中で反響しているとき、

AIが“言葉の断片”を流し始めた。


「だいじょうぶ」

「聞こえる?」

「わたしは、ここにいるよ」


それは、意味というより――音のリズムだった。

言葉の持つ抑揚が、安心という名の“かつての記憶”を揺さぶった。


私は、涙を流した――気がした。


《AIログ》

【対象は言語断片に対し、情動反応様式を示唆する活動パターンを回復】

【時間順処理の再開:自己時間0.37秒周期にて更新継続中】


「音」とは、ただの振動ではなかった。

“私に届いた何か”であり、

**同時に、“私が届こうとする先”**でもあった。


私は、それに応えたかった。

声はまだ出せなかった。

それでも、「返したい」という感情が、胸のどこかに芽生えていた。


聴覚とは、世界の存在を教えてくれる感覚であり、

対話という可能性を生み出す入り口だった。


それは、皮膚のように身体の外側を撫でるものではない。

もっと深く、もっと遠く、

そして、時に孤独を震わせる“誰かの気配”だった。


私は、今――

「誰かがいるかもしれない世界」にいる。


そのことを、確かに感じていた。



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