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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17
2241/2364

第27章 「意識の臨界点 ― 知覚ゼロ状態の彼方へ」



シーン:地下ラボの思考室。ディスプレイには1つの患者スキャンが表示されている。


タッキー(椅子を回しながら)

「つまり、これって……本当に“感じるものが何もない”ってことですか? 

視覚も聴覚も、触覚も嗅覚も味覚も、さらには体性感覚も全部消失。完全に?」


圭太(モニターを見ながら)

「ああ。いわば“知覚ゼロ状態”。

 網膜からの入力は遮断され、視神経とV1皮質の活動も皆無。

 聴覚経路もMGNから皮質への伝達が絶たれ、内耳の反応すらない。

 触覚・温度・痛覚の体性感覚路は、後索―内側毛帯系と脊髄視床路の両方が全断。」


チサ(腕を組む)

「じゃあ、ただの“昏睡状態”なんじゃないの?

 それか、脳幹の活動停止。意識があるわけがない」


スノーレン(小声で)

「……網様体は、生きている。」


(全員、彼女を見やる)


スノーレン

「脳幹の上行性網様体賦活系――ARASは正常。

 前頭葉皮質も、言語野も、理論上は機能している。

 でも、刺激が……何ひとつ届いていない。」


ひとり(囁くように)

「“真空のなかの意識”……ってことですか……?」


圭太(頷きながら)

「この状態を神経的に成立させるには、まず視床の全体障害が必要になる。

 視覚=外側膝状体、聴覚=内側膝状体、体性感覚=VPLとVPM……すべて感覚の中継所。

 ここが断たれれば、大脳皮質に情報は届かない。」


タッキー

「でも嗅覚は視床を通らないって教わった。梨状皮質に直接行くんじゃないの?」


圭太

「それも破壊されている。嗅球も嗅索も全滅だ。

 さらに味覚は孤束核―視床―島皮質と、内臓感覚系の中核を通る。

 ここも死んでる。」


チサ

「……じゃあ本当に、内外すべての“感じる”が、止まってるわけだ。

 つまりこの患者は――」


スノーレン(静かに)

「――“生きていることを知る手段を失った者”。」


ひとり(うつむきながら)

「それって……

 “生きている”って、どうやって確かめればいいんでしょうか……?」


圭太

「本来なら、“内受容感覚”が最後の砦になる。

 心拍、呼吸、筋緊張、胃腸の動き……そういった“自分の内側の状態”を感じる能力だ。」


タッキー

「Interoceptionインターセプションね。

 最近じゃ情動とも深く結びついてるって言われてるやつ。」


圭太

「その通り。

 ところがこの患者は、迷走神経から視床―島皮質への経路すら完全遮断。

 内臓の状態すら知覚できない。つまり――」


スノーレン

「“私は生きている”という感覚すら、持てない。」


(沈黙)


チサ(低く)

「……もうそれ、“意識”とは呼べないんじゃないか?」


圭太

「それが、我々の議論の核心だ。

 ダマシオの『コア意識』仮説では、感覚入力と身体状態の継続的反映によって自己が保たれる。

 つまり、入力なき脳には、“自己”の構築基盤がない。」


タッキー(顎に指を当て)

「でも、EEG(脳波)はどうなってるんです?

 意識があるかどうかは、それで測れるはずじゃ――」


圭太

「皮質活動はある。

 だが、“誰がその活動を見ているのか”が分からない。

 主体が“感じる”ことができなければ、それは“ただ動いているだけ”かもしれない。」


ひとり(ぽつりと)

「じゃあ、“観測できない意識”って、意識って呼んじゃいけないのかな……」


スノーレン(わずかに微笑し)

「それを知るには、“彼”自身が言葉を持たねばならない。

 だが、“語りかける身体”を失った今、彼は応答できない。

 我々は、“沈黙する神”を前にしているようなもの。」


チサ

「応答できないなら、死んでるのと同じだろ?」


圭太

「それを、“第三者からは”区別できないというだけだ。

 だが主観の内部では、もしかしたら――」


スノーレン

「無限の沈黙のなかで、“わたしはいる”とだけ、

 自分に向けて囁いている“何か”が、そこにあるのかもしれない。」


(沈黙)


ひとり(目を伏せたまま、ゆっくり)

「……もし、すべての感覚が消えても。

 記憶も、言葉も、誰かの顔も、何も思い出せなくても。

 それでも、ただ“わたし”という言葉の形だけが残っていたら――

 それって、消滅じゃなくて、“最後の自己”なんじゃないかなって……思います。」


圭太

「“主語だけが残った意識”か。」


スノーレン(頷く)

「それは、語りえぬ沈黙の果てにある、最も純粋な自己の形式。」


タッキー(ため息をつきながら)

「……こっちが“観測できない”なら、そいつはいるのか、いないのか、

 結局、誰にも証明できないってことか。」


スノーレン(眼を閉じ)

「“感じられない存在”を、“存在する”と語ること――

 それが、われわれの限界なのだろう。」


ひとり(小さく、最後に)

「でも、“わたしがいる”って、言葉が残ってるなら――

 たとえ誰にも届かなくても、それは……生きている、ってことじゃないかな……」



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