表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン17

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2237/2681

第23章 第二段階:「音の消失 ― 他者がいなくなる日」



視界が閉ざされてから、どれだけの時間が経ったのか、それを測る術はなかった。

時計を見ることも、太陽の位置を確かめることもできない。

そんな状況のなかで、私はかろうじて「世界」との接点を保とうとしていた。


頼りは、「音」だった。


足音、空調の低い唸り、誰かがドアを開ける気配。

自分の咳払い、呼吸の音、ひとり言。

それらが聞こえるうちは、まだ“他者”がこの世界に存在していると信じることができた。


だが、あるとき、違和感が走った。


音が……消えていた。


それは、静けさではなかった。

むしろ、空間全体が“音を受け取らない構造”に変化したようだった。

音が吸収されているわけではない。

最初から、“存在していない”のだ。


最初に気づいたのは、空調の音だ。

それが消えた。

次に、外から聞こえていた雑音――車の音、鳥の声、人のざわめき。

それらが、徐々に、だが確実に、姿を消していった。


私は声を出してみた。

のどは震えた。

その感覚だけは、かすかに残っていた。

けれど、音が返ってこない。

何も、聞こえない。


それが「沈黙」ではないことは、すぐに分かった。


音が、存在しない。


気づいた。

音とは、“他者がそこにいる”という証だったのだ。

誰かの声を聞き、音を通じて反応し、言葉を交わす――

それは、自分ではない存在が“確かにいる”という確認作業だった。


いま、その確認ができない。

誰もいないのではない。

「誰かがいるかどうか」すら、判断できない状態だった。


言葉が、変質し始める。

意味が分からなくなったわけじゃない。

だが、「誰かに向けて話す」という感覚が、徐々に剥がれ落ちていく。


「ありがとう」

「聞こえますか」

「わたしは、ここにいます」


それらは、もはや“語りかけ”ではなく、

頭の中で繰り返される“記号の残響”に変わっていった。


気づくと、私は会話の形式すら、失っていた。


呼びかけと返事、笑いと応答――

かつては当たり前だったそのやりとりが、音という媒介を失った瞬間、成り立たなくなった。


「誰かが答えてくれるかもしれない」

その仮定が崩れた瞬間、言葉はただの“独り言”に変わる。

いや、それよりも孤独だ。

独り言ですら、誰かが「聞いているかもしれない」という希望がある。

いまの私には、その仮定すらない。


記憶にすがろうとした。

誰かの声――母の声、友人の笑い声、誰かの怒鳴り声。

だが、音の記憶は曖昧だった。

視覚と違い、音は「形」を持たない。

残っていたのは、「その言葉があった」という骨組みだけで、声色も、抑揚も、どこかへ消えていた。


私の中から、「他者の輪郭」が消えていく。


私は、孤独を感じていたのか?


その問いに、即答できなかった。

なぜなら、「孤独」とは“他者が不在である”ことに起因する感情だ。

だがいまの私は――“他者がいた”という前提すら、曖昧になっている。


つまり、これは「孤独」ではない。

それはもう、“独在”と呼ぶべき状態だった。


“ただひとり”ではなく、“ひとりであることしか知らない存在”。

比較対象がない。

だから、自分が「ひとりである」ことすら、言語化できない。


そのとき、私は理解した。


音を失うとは、「他者という概念を失うこと」なのだと。


私はこれまで、声の違い、話し方のテンポ、間の取り方などから“他者”を識別してきた。

それが、すべて消えた。

等価になったのではない。

比較できない、差のない沈黙。

それは“無差異”と呼ぶべき、音の完全消去だった。


「あなた」という語が、私の中で消えていく。

代わりに「わたし」だけが、未定形のまま浮かび上がっていた。

誰にも届かず、誰とも区別されない「わたし」。


その瞬間、私は気づいた。


言葉が、“音を失った器”に変わろうとしている。


届くことのない声。

聞かれることのない呼びかけ。

応答のない構文。

それでも、まだ「わたし」の中には言葉が残っていた。


だがその言葉は、もはや私を「誰かのいる世界」の住人としてつなぎとめる力を、失っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ