第20章 《時間の粒と、点の意識》
【病室・深夜。モニターの電子音が規則正しく響いている。K医師と臨床心理士Mが、窓際に立っている。】
M:
「……この音、ただの機械音に聞こえるかもしれませんけどね、
私たちには“流れ”に聞こえる。不思議なものです。」
K:
「ああ、そうですね。
機械は時間を測る道具。でも、人間はそれを“感じる”んです。
――まったく別の仕組みですよ。」
M:
「“感じる時間”って、脳のどこかにあると思いますか? それとも、もっと外側、世界のほうに?」
K:
「いや、どちらでもない。
時間ってやつは、神経と神経の“関係性”の中に生まれるものだと思うんです。
神経が一定のリズムで反応して、その干渉が空間をつくる。
それを、僕たちは“時間”と呼んでるにすぎません。」
M:
「じゃあ、時間は……生理現象の副産物だと?」
K:
「そんなところです。
我々は“時計”の中にいるんじゃない。
“波の干渉”の上に立ってる。――そう考えた方がしっくりきますね。」
M:
「でも、私たちは涙が乾くのを待ち、夜明けを感じて、“時間”を生きてる感覚があります。
それも、錯覚なんでしょうか。」
K:
「錯覚、というより“脳の演出”です。
脳は連続なんて持っていない。
点と点が高密度に並ぶことで、それを“連続”だと錯覚するんです。
映画のフィルムと同じ。
意識は、断続の演出に乗っかってるだけなんですよ。」
M:
「……物理の世界じゃ、時間は断続すら認められない。
“ブロック宇宙”の考えでは、過去も未来も全部そこにある。
そうなると、“今”を感じている私たちって――ただの選択肢なんですか?」
K:
「ええ。
“幻影”じゃない。“選択”です。
脳は膨大な断片の中から、“いま”を選び続けてるだけ。
次の瞬間、また別の断片を掴んで、“今”を更新していく。
でも――彼女は、それができない。」
M:
「“今”を更新できない人間……それはつまり、“時間の粒”の間に取り残された存在。」
K:
「その通り。
見た目には静止しているように見えても、宇宙は前に進んでいる。
彼女は動かず、ただ、時空が彼女を通り過ぎている。」
M:
(小さく息をつく)
「それでも、宇宙が進んでいるなら……彼女の“今”も、いつかまた交わるんでしょうか?」
K:
「ええ、交わることはあるでしょう。
でもそれは、まったく“同じ彼女”ではない。
意識は再構成されるたびに、少しずつ違う。
別の初期条件をもった、別の自己が生まれている。」
M:
「……“点の意識”。“線の時間”。
ふたつは、永遠に平行なんでしょうか。」
K:
「いや、交錯しますよ。
たとえば、ひとつの言葉、ほんのわずかなドーパミンの揺らぎ。
それが断片を束ねて、“流れ”を生み出す。
脳はそれを模倣して、“時間”に似たものを立ち上げるんです。」
M:
「模倣か……。
“生きる”って、それを続けることなのかもしれませんね。」
K:
「ええ。
その模倣が止まったとき――それが“死”です。
生命反応があっても、意識が“流れ”を描けなくなれば、
それは“死に似た静止”になる。」
M:
(窓の外に目をやる)
「……時計の針が動くたびに、私たちは違う“私”になってるのかもしれませんね。」
K:
「だからこそ、人は書くんです。
読む。
名前を刻む。
――時間に、線を引こうとする。」
M:
(微笑みながら)
「線は、いずれ消える。
でも、“書こうとした”その意志は、痕跡として残る。
それが、意識という名の時間の証明。」
K:
「ええ……そうですね。
時間は、線じゃない。
でも、意識だけが――線を描ける。」
【沈黙。モニターが規則正しく音を刻む。二人は、その点の連なりを、“流れ”として聴いていた。】




