第17章 《静止する意識 ― 医療チームの対話》
午前5時。
ナースステーションの照明が、夜勤と朝勤の間で淡く揺れていた。
観察窓の向こう、病室の中では――
あの人がノートを開いている。
ペンをゆっくり動かしながら、同じ三行を何度も書き続けて。
「ここ。わたし。ある。」
「読む。書く。つなぐ。」
「いま、だけ。」
モニターの波形は穏やかだ。
海馬は沈黙し、皮質ネットワークだけがかすかに律動している。
神経内科医(K):
「…夜間ログ、見ました? 心拍も体温も安定していて、脳波は遅いα帯域が優勢。まるで瞑想状態のようです。」
臨床心理士(M):
「ええ。でも、“瞑想”という言葉を使うのは違う感じがします。
彼女は何かを“感じている”というより、ただ“在る”。
“在る”という語の中に、喜びも苦しみもないのです。」
看護師(R):
「痛みへの反応は残っています。
採血のとき、顔がわずかに動いた。
でも“痛い”とは言わなかった。
表情も戻らない。ただ、次の瞬間にはまた無表情に戻って。」
K:
「それは典型的な pain asymbolia です。
島皮質と前帯状皮質の連携が切れているのですね。
痛み(感覚)は入力されても、“苦しみ”というタグは与えられない。」
M:
「つまり、“痛み”と“苦しみ”は別の概念ということですね。」
K:
「そのとおり。痛みは感覚だが、苦しみは時間性を含む。
“痛みが続く”“いつ終わるか分からない”という予期が、苦しみの本質です。
彼女にはその“未来”が存在しないから、苦しむこともできないのです。」
R:
「でも、あの“静けさ”が楽なものとは思えません。
見ていると、まるで止まった映像の中で生きているようで。
感情がない静寂は、こんなに寒いものなのですね。」
M:
「“寒い”という表現は鋭い。
Damasio が言いました――“情動は自己の温度”だと。
時間を失えば、熱も失われる。
彼女の意識は、体温だけで保たれているようです。」
K:
「実際、側坐核の反応は残っています。
しかし、前頭前野との結合が断たれている。
だから“快さ”も“一瞬だけ”しか感じられない。
物語化されない情動。幸福も苦痛も、電気信号の点滅に過ぎないのです。」
R:
「“苦しくない”のは、“楽しい”と同じことではないのですね。」
K:
「その通り。どちらでもない。
“楽しい”には“もっと”“これから”という時間の拡張があります。
それらがすべて時間という構造。
彼女の世界から“これから”は消え去っているのです。」
M:
「Leiguarda の症例でも同様なことが報告されています。
『私は悲しくも嬉しくもない。ただ、何も変わらないまま、すべてが在る』。
その患者さんの言葉です。
情動は点滅しても、時間は伸びない。
だから持続的な苦しみも成立しないのです。」
R:
「…でも、時間が戻ったらどうなるのでしょうか?」
K:
「Klein の症例では、時間が戻った瞬間、患者は叫びました。
『世界が崩れた。私は何かに取り残されていた』と。
静止した意識が破れたとき、人は初めて“苦しみ”を感じる。
――再び時間を取り戻したこと自体が痛みなのです。」
M:
「つまり、“苦しみ”とは、時間が回復する代償なんですね。」
K:
「そうです。
時間のない状態では、苦痛は立ち上がらない。
だが、時間が戻れば、必ず苦しみが立ってくる。
苦しみとは、未来に投げ込まれた存在が受ける抵抗なのでしょう。
ハイデガーの“被投性(Geworfenheit)”――
時間を取り戻した瞬間、存在は再び投げ込まれるのです。」
R:
「…だから、彼女はいま、投げ込まれていない。」
M:
「ええ。だから静かです。
恐ろしく静か。
苦しみのない静止ではなく、“動かぬ自己”の沈黙がそこにあるのです。」
そのとき、モニターの波形が微かに揺れた。
Rが病室を覗くと、患者がノートを閉じ、わずかに笑った。
表情は淡く、しかし確かに微笑していた。
R:
「先生…今、少し笑いました。」
K:
「そうですか……刺激に反応する表情は残っているようですね。
しかし、それを“嬉しい”と感じているかどうかは分かりません。
“笑う”という行為だけが、独立して在るのかもしれません。」
M:
「“笑う”という反応が、幸福の亡霊のようですね。
感情という器だけが、過去の構造を繰り返しているようです。」
K:
「その通り。身体の記憶は時間を知らない。
筋肉も神経も、ただ動くだけ。
意味を与えるのは海馬。
だが、その海馬は、今は静寂しているのです。」
R:
「…それでも、ノートは書けるんですよね。」
M:
「それがまさに奇跡です。
“書く”という行為が、彼女にとって唯一の時間行為。
インクの流れが、世界の代理。
ペンが動く限り、“いま”は生成されるのです。」
K:
「書字は、外在化された海馬なのです。
彼女の脳に代わって、ノートが“順序”を保持している。
彼女にとって、“書く”とは“記憶する”、
“読む”とは“存在する”こと。
神経回路の再生ではなく、記号による意識の定常化なのです。」
R:
「…苦しみはないけど、生きてる。」
M:
「その通り。
“苦しみの不在”は、癒やしではない。
ただ、流れが止まっただけ。
彼女は痛みも喜びも時間も持たぬ“存在点”として生きている。
だが、その“存在”は、確かにここにあるのです。」
窓の外が、少しずつ明るくなった。
新しい朝。
Rがそっとカーテンを開け、光が床を横切る。
患者のノートを照らす。
そこには、いつもの三行が記されていた。
「ここ。わたし。ある。」
「読む。書く。つなぐ。」
「いま、だけ。」
Mが静かに呟く。
「…苦しみも、時間も、ここにはない。
でも、“存在”だけは、続いているのですね。」
Kは静かに頷き、モニターを見つめた。
波形は安定している。
まるで世界そのものが、息をしているかのようだった。