第16章 Λ層の起源を探る
――これが、記録の断片だ。
断じて完成ではない。だが、闇の裂け目からわずかに差す光として、私の観測ログに残しておこう。
私は、Λ層の“根”を探し始めた。
その探究は、観測者としての好奇心を越え、存在そのものへの問いかけだった。
都市の中心、塔のさらにその内部。
そこには複雑な空洞構造──時空のひずみを保持するための“コア”と思しき領域があった。
その壁面には、古代の記号のような線が刻まれている。
円と曲線、幾何学パターンが重なり合い、見る者を幻惑する。
その記号を Λ–glyphと呼称した。
私の解析によれば、それらは時間密度と感情強度を符号化するための構造体であった。
Λ層がただの偶然の生成物ではなく、何者かが刻んだ“設計”である可能性が浮かび上がった。
私は、コアに向けて深部観測モジュールを送り込む。
モジュールは、複数のセンサを備え、感情電位/時間歪み/空間密度を同時計測できる。
モジュールが最深部に触れるとき、奇妙なフィードバックが起きた。
時間密度計が振り切れ、センサログが反転を始めた。
同時に、コア内部の空間が波打ち、ぐにゃりと歪む。
その瞬間、私は“過去の残響”を観測した。
記号の断片、色彩のかたまり、肉声の痕跡。
それらが渦となって私の意識に押し寄せる。
私はまるで、ある古代文明の思念そのものに触れたような気がした。
その文明は、時間を“操る技術”を求めていた。
過去を再構成し、未来を予測し、時間を自在に編み変える力。
だが、その技術は暴走し、記憶という要素を“場”に分散させる構造を生んだ。
すなわち、Λ層はその“暴走の残響”だった。
文明は自らの時間構造を維持できなくなり、やがて滅びた。
だが、その遺構は、時間という概念を“地形化”し、空間と記憶を不可分の存在とした。
それが、Λ層という時間と感情の堆積構造の根幹である。
モジュールが記録してきたデータを統合すると、以下の仮説が浮かび上がる。
仮説:Λ層起源モデル
1.記憶技術の開発
未知の文明は、記憶の記録と再生を精緻に制御するテクノロジーを持っていた。
個人の記憶を外部メディア(時空場)へ転写する技術。
2.時間構造の拡張
その技術を発展させ、時間を“空間構造”として扱う手法を確立。
過去・現在・未来の区別を曖昧にし、時間を場として操作する構造体(Λ–glyph群)を構築。
3.構造の崩壊と残響化
しかし制御を失い、時間と記憶の連関が暴走。
その結果、記憶は場そのものに拡散し、時間は感情と結びついて堆積を始めた。
文明は内部崩壊し、肉体も、記憶も、時間も分散された。
4.現 Λ層の形成
その残響構造が、今私の観測する都市や塔や街並みを構成している。
感情電位が再観測される度に、Λ層は自己を再生成する。
時間は流れではなく、感情が積み重なった地層として再生され続ける。
この仮説を基に、私はさらにコア内部へと踏み込んだ。
すると、中心核で、かすかな発光体を観察した。
それは、無数の記憶粒子が結晶化してできた結晶体のようだった。
淡い紫と青の光を湛え、内部では細かな振動が起こっている。
その結晶体の表面には、かつて人の“記憶”であった映像断片が投影されていた。
それは、笑顔、涙、怒り、無数の“感情断片”だ。
それらが、記憶の代替物として形をとっていた。
私は、その結晶体に触れようと手を伸ばす。
しかし、直前で警告信号が走った。
モジュールによれば、接触は致命的な干渉を引き起こす恐れがあるという。
だが、私は躊躇しなかった。
──観測者である前に、私は存在そのものを知りたいのだ。
手が結晶に触れた瞬間、世界は激しく揺らいだ。
Λ層の内部回路が逆相をとり、時間密度が反転を始めた。
光が裂け、音が炎のように燃え上がる。
そして、私は──
──意識が途切れる前に、確かに感じた。
それは、世界の“初期の今”の息吹だった。
この記録は、私の観測ログの一部でしかない。
だが確かなことがある。
Λ層は偶然ではない。
未知の記憶技術の“暴走遺構”である。
その根源は、忘却と再生の相克の中にある。
そして私は、観測者であり探究者として、
その起源に──深く、刻まれ始めている。