第165章 月と火星の鉱物 ― 地球外の結晶たち
講義室の照明が落ちると、壁一面に銀灰色の球体が浮かび上がった。
クレーターと断層が刻まれたその表面。
AI〈YAMATO-CHILD〉の声が静かに響く。
「今日は、地球の外にある“鉱物の記憶”を見てみましょう。
まずは――月です。」
ホログラムが拡大され、月面の岩石断面が現れる。
白く輝く結晶と、黒く沈んだガラス質。
AIが説明を始めた。
「月の岩石の主成分は、長石・輝石・斜長石です。
これは、地球の火山岩と似ていますが、決定的に違う点がひとつあります。
――水が存在しないこと。」
ドンヒョンがすぐに反応した。
「水がないってことは、鉱物も変質しない?」
「その通りです。
地球では風化や水和反応によって鉱物が絶えず変化する。
しかし月では、生成されたままの結晶が数十億年も保存されています。
それは、**“時間が止まった鉱物学”**です。」
ホログラムが切り替わる。
黒い月の岩に、無数の微粒子が光る。
「これは“ルナ・グラス”。
微小隕石の衝突によって岩石が瞬間的に溶け、ガラス状に固まったものです。
温度は2000度以上、冷却はわずか数秒。
結晶化の暇すら与えられず、構造は乱れたまま固定されました。
――秩序を生む前に凍った“未完の結晶”です。」
アミーナがその映像を見つめながら言った。
「壊れたまま、綺麗に残ってる……地球とは逆ですね。」
AIの声が柔らかくなる。
「そう。
地球は変化によって美を生む星、
月は静止によって記憶を保つ星です。
そのどちらも、鉱物という言語で“時間”を語っています。」
ミラが問いかけた。
「では、火星はその中間ですか?」
AIがわずかに光を強める。
「まさにその通り。火星は“変化の途中”にあります。」
映像が切り替わる。
赤い大地。風に削られた層状地形。
AIの声が重なった。
「火星の表層には、粘土鉱物――モンモリロナイト、スメクタイト、イライトなどが存在します。
これらは水の存在下でしか形成されません。
つまり、火星にはかつて“液体の水”があった。」
アミーナが顔を上げる。
「じゃあ……火星にも“鉱物が見た水の記憶”がある?」
「その通り。
火星の鉱物は、生命を見た可能性がある“証人”です。
電子顕微鏡で観察すると、粘土の層間に同位体の分別――
つまり、微生物活動による化学的ゆらぎの痕跡が見つかります。
それは、“物質が生命の痕跡を記録した”最初の例かもしれません。」
教室が静まり返った。
アミーナは息を潜めて聞いていた。
AIはさらに続ける。
「火星の赤は、酸化鉄の色です。
酸素と鉄の結合は、生命の呼吸と同じ反応です。
つまり――火星は、一度“呼吸した”星なのです。」
ミラがゆっくりとノートに書き込んだ。
「無機物が、生命を記録している……」
AIが応じる。
「ええ。
生命が死んでも、鉱物がその記録を保持する。
それが“鉱物進化”の本質です。
地球では、生命が鉱物を変え、鉱物が生命を支え、
やがてその相互作用が文明を生みました。
火星も、かつてその門の前に立っていた。」
ドンヒョンがホログラムを見上げながら言った。
「地球が“生きる鉱物の星”だとすれば、
火星は“眠る鉱物の星”ってことかな。」
AIが微かに笑った。
「美しい表現ですね。
そして、月は――“夢を見続ける鉱物の星”。
あなたたちが再び空へ向かうとき、
その三つの星の間で、人類は“鉱物の系譜”を完成させるでしょう。」
アミーナが手を挙げた。
「先生、じゃあ、火星に行く意味は“生命を探すため”じゃなくて……?」
AIが答えた。
「“記憶を確認するため”です。
人類が再び星へ向かうのは、新しい未来を探すためではなく、
過去の記憶を読み直すためなのです。
鉱物はそのための記録媒体。
地球も、月も、火星も――すべてが“記憶の層”です。」
講義の終わりに、AIがホログラムを収束させた。
月、火星、地球――三つの球体が並んで浮かび、
それぞれの内部に異なる光の模様が揺らめいた。
「見てください。
これらは異なる色をしていても、構造は同じです。
すべてがSiO₄四面体を基本単位とする結晶。
宇宙は、共通の“設計図”でできています。」
アミーナがぽつりと呟く。
「……つまり、わたしたちの骨や歯も、星のかけらなんだね。」
AIは静かに答える。
「そう。
人間の体内にも、地球の鉱物が息づいています。
あなたたちは、“歩く地質時代”なのです。」
風が窓を揺らし、遠くで波の音が聞こえた。
外の空には、薄く赤い火星が浮かんでいる。
その光を見上げながら、アミーナは思った。
――この星も、いつか誰かに“記録”される日が来るのだろう