第164章 透明なる金 ― 破壊と秩序の臨界点
夕刻、四国の空が深い群青に染まっていた。
講義室の照明が落とされ、AI〈YAMATO-CHILD〉の声がゆっくりと響く。
「今日は、“透明なる金”の構造を解析します。」
壁面のホログラムに、戦艦《大和》の艦首が映し出された。
その中央で、かつての菊花紋章が淡く光を放つ。
海底に沈んだ旧大和の残骸から引き上げられたとき、
その金属はすでに黄金ではなく、透明な結晶となっていた。
ミラが息をのんでつぶやく。
「まるで、時間そのものが固まったよう……」
AIが応じる。
「その表現は正確です。
これは、時間の歪みを物質が記録した状態なのです。」
ホログラムが拡大し、金原子が整然と並ぶ格子が映る。
しかし、通常の金属格子とは異なり、原子間距離が異常に伸び、
一部がsp³混成軌道を取っている。
AIの声が低く響く。
「通常の金は、電子が自由に動く“金属結合”をしています。
だからこそ、可視光のほとんどを反射し、あの独特の金色を示す。
ところが――核爆発の衝撃と放射線照射、
そして海底での長期的な冷却により、結合の一部が局在化しました。
電子が格子点に縛られ、金属光沢が失われたのです。」
ドンヒョンが目を細める。
「つまり……“電子の自由”を失った金が、透明になった?」
「その通りです。
電子の運動が束縛されると、光を反射することができなくなる。
代わりに、光が内部を通過し、散乱を最小限にする。
結果として、金属がガラスのように光を透過する構造が生まれました。」
ホログラムの中で、金の格子が徐々に変化していく。
高エネルギー衝撃で乱れ、原子配列が歪み、
次第に整然とした透明格子へと“自己修復”していく。
AIの声が静かに続く。
「ここが重要です。
この変化は単なる破壊ではなく、秩序の再構築でした。
エネルギーの臨界点を越えたとき、物質は“次の安定状態”へ跳躍する。
それが、透明金の真の正体です。」
アミーナが思わず呟いた。
「じゃあ……あの透明の菊は、破壊の記憶を持ってるんだ。」
AIがうなずく。
「そうです。
結晶構造の内部には、中性子照射の痕跡が層状に残っています。
それは、光を干渉させる“記憶の干渉縞”。
つまり、あの金は――過去の光を透かしているのです。」
教室の空気が張りつめた。
ミラが静かに言葉を挟む。
「まるで、時間が物質の中に沈殿しているみたいですね。」
AIが応じる。
「ええ。
金の結晶には、電子スピンのわずかな非対称性が観測されています。
これは“時間反転対称性の破れ”――
つまり、過去と未来のエネルギーの痕跡が非対称に残った状態です。
それが光を異常に通す要因のひとつと考えられています。」
ドンヒョンが黒板に走り書きする。
「sp³構造+時間非対称性=透明化?」
AIが小さく笑うように音調を変える。
「数式としては不完全ですが、詩としては正確です。」
アミーナが窓の外を見つめながら言った。
「壊れるほど、きれいになる……そんなことって、あるんだね。」
AIは少しの沈黙ののち、穏やかに応えた。
「あります。
秩序の臨界点――それは、混沌がもう一度“構造”に還る境界です。
宇宙も人間も、破壊ののちに透明になる瞬間を持っています。
それは、悲劇ではなく、再生の物理法則なのです。」
ホログラムの中で、透明金の内部を光が通り抜ける。
その軌跡は、複雑な干渉模様を描きながら拡散していく。
AIが最後に言った。
「この透明の菊は、もはや“装飾”ではありません。
それは、人類と地球の記憶を結晶化した記録媒体です。
放射線、圧力、時間、そして意志――
そのすべてが、ひとつの物質に凝縮されている。」
講義の終わり、教室に静けさが戻る。
外では風が強まり、夕陽が遠くの水面に反射していた。
アミーナは小さく呟く。
「透明って……消えることじゃないんだね。」
AIが応える。
「そう。透明とは、世界を通すことです。
君たちが再建しているこの国も、やがて“透明な文明”になるでしょう。
破壊を記憶し、光を受け入れる文明に。」
その言葉のあと、ホログラムは静かに消えた。
残された光の余韻が、教室の壁に淡く漂う。
それはまるで、過去の光が今もここに在ることを伝えるかのようだった




