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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2209/2364

第162章  記録の結晶 ― 合成宝石の夜



 夜の実験棟は、昼とは違う匂いをしていた。

 加熱炉の中で酸素と水素の炎が交差し、ガラス越しに赤い筋を描く。

 外は嵐のような風音。だが工房の中は、妙に静かだった。


 「酸化アルミナの粉末、粒径一五〇ナノメートル。

 酸化クロムを0.5%混合。これでルビーの基材ができる。」

 タッキーの声は低く、正確だった。

 白い粉が漏斗を通り、滴るように燃焼炎へと落ちていく。

 炎の中心温度は二千度。

 赤熱した粒子が空中で溶け、重力に引かれて一滴ずつ落下し、下の棒状台座で結晶化していく。


 「ねぇ、それ……まるで溶けた雪みたい。」

 夏樹がモニター越しに見つめながら呟いた。

 「透明だったのが、一瞬で赤くなる。

 まるで“心拍”を見てるみたい。」


 「酸化クロムの三価イオン(Cr³⁺)が、Al³⁺の位置に置換しているの。

 d軌道の電子遷移によって光を吸収、透過波長が赤になる。」

 タッキーの説明は冷静で、どこか機械的だった。

 「簡単に言うと?」

 「……酸素の炎で、原子が記憶を塗り替えてるのよ。」


 「塗り替える、か。」

 後方で、圭太がコーヒーをすすりながら言った。

 「俺たちのやってることも、ある意味では“記者”と同じだな。

 真実を拾って、編集して、もう一度見せる。

 でも……“編集後の真実”って、本物って言えるのかね?」


 タッキーがちらりと振り向く。

 「あなたの“編集後の真実”は、視覚的には正しい。

 でも構造的には歪んでるかもしれない。」

 「歪んだままでも、誰かが希望を感じるなら、それでいいんだ。」

 圭太の言葉に、夏樹が小さく笑った。

 「うん。偽物でも、ちゃんと光るなら、本物だよ。」


 タッキーはため息をついた。

 「……あなたたち、倫理観の屈折率が低すぎるわ。」

 「じゃあタッキー、聞くけどさ。」

 夏樹が顎に手を当てる。

 「これ、見た目も組成も天然ルビーと同じなんでしょ?

 じゃあ、違いって何?」

 「成長の“時間”よ。天然は百万年、人工は三時間。

 プロセスの履歴が違う。それは情報の差。」

 「つまり、時間が本物の証拠?」

 「ええ。時間こそが真実を結晶化する唯一の力。」


 圭太が首を振った。

 「でも人間には、百万年なんて待てない。

 だから“短縮された進化”を選ぶんだ。

 それが人工って言葉の意味だろう?」


 炎が少し強まった。

 炉の中で、結晶の頂点がゆっくりと尖り、

 中心軸に沿って六方晶のパターンが浮かび上がる。

 ――世界で最も人工的な美の誕生。


 夏樹が感嘆の息を漏らす。

 「……ねぇ、これ、偽物に見える?」

 「肉眼では区別不能よ。」タッキーが答える。

 「でも、偏光顕微鏡で見ると分かる。成長帯が規則的すぎる。」

 「でも、それって罪かな?」

 タッキーが一瞬だけ黙り、答えた。

 「罪ではない。けれど――物語がない。」


 圭太がコーヒーを置いて言う。

 「いや、物語ならこれからできる。

 この石を見て泣く誰かがいれば、それが“履歴”になる。

 人が触れた瞬間に、人工は天然を超えるんだよ。」


 夏樹の目が潤む。

 「……あぁ、なんかそれ分かる。」

 タッキーが横目で見ながら、小さく微笑んだ。

 「理屈では間違ってるけど、詩としては正しいわね。」

 「それ、褒めてる?」

 「50%くらい。」


 結晶成長が完了する。

 ルビーは冷却台に落ち、淡く輝きながらゆっくりと固まっていく。

 夏樹が慎重にピンセットで掴み、光にかざした。

 「……生まれたね。」

 圭太が頷く。

 「人間が生んだ星だ。夜にしか見えないやつ。」


 タッキーが顕微鏡で観察し、分析結果を読み上げた。

 「不純物なし。内部欠陥ゼロ。

 屈折率1.762、蛍光ピーク693ナノメートル。完璧。」

 「完璧……ってつまんないね。」夏樹が笑う。

 「ちょっとヒビとかあった方が、愛着湧くのに。」

 「それ、含浸処理の章で言って。」

 「言ったよ。あのときも怒られた。」

 「今回も同じ結果になりそう。」


 圭太が笑いながらルビーを手に取る。

 「でも、確かに。完璧って退屈だな。

 欠けやヒビがある方が、光が複雑に揺らぐ。

 それって、“記録”に似てるんだよ。」


 タッキーが首を傾げる。

 「記録?」

 「そう。誰かの心に残る傷跡。

 まっさらじゃ、記憶は残らない。

 完璧な美は、何も語らない。」


 夏樹がルビーを手のひらに載せ、微かに呟く。

 「……だったらこの子にも、物語をあげなきゃね。」

 タッキーがわずかに笑う。

 「あなたが記事に書いた瞬間、もう“履歴”が刻まれるわ。」

 「じゃあタイトルは決まり。“人工に宿る魂”!」

 「安っぽい。」

 「でも、届く言葉で書かなきゃ。

 “光は人間の言語”なんだから。」


 圭太が頷いた。

 「そうだ。人間は、光で語る唯一の生き物だ。

 だから俺たちがこの石を作る意味も、たぶんそこにある。

 ――“見えるようにする”こと。それが人間の祈りだ。」


 その瞬間、照明が一瞬消えた。

 外の風が止み、暗闇の中でルビーだけが微かに光を放っていた。

 人工であることを誇るように。

 だがその光は、どこか懐かしかった――まるで、人間の記録そのもののように

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