第161章 色と構造 ― 発色メカニズムと電子の詩学
朝の教室。
雨上がりの光が、窓の縁を濡らしていた。
アミーナは机の上の石英片を見つめていた。
昨日、光にかざしたとき見えた微かな虹。
それは、彼女の中でずっと残響していた。
講義の開始とともに、YAMATO-CHILDの声が広がる。
「今日は“色”の授業です。
鉱物がなぜ色づくのか――その理由を、電子が語ってくれます。」
ホログラムが淡く光り、空間に三つの立方格子が浮かんだ。
ひとつは完全な無色透明、ひとつは緑、もうひとつは赤。
それらは同じ鉱物――コランダム(Al₂O₃)。
だが、内部構造にわずかな違いがある。
「無色は純粋な酸化アルミニウム。
緑はクロムが置換してエメラルドに、赤は同じクロムが別の格子歪みでルビーになる。
同じ元素でも、電子の配置が異なるだけで、吸収する光が変わるのです。」
AIが電子軌道の模型を展開した。
六つの球殻が交差し、中央でひとつの電子が回転している。
「このd軌道の分裂――それが“色”を生む源です。
光が電子を一瞬だけ励起させ、再び落ちるとき、特定の波長が吸収されます。
残された光が、君たちの目に“色”として届く。」
ドンヒョンが前のめりになった。
「じゃあ、僕らが見てる色って、吸収されなかった“余り”なんですね。」
AIが小さくうなずくように光を揺らす。
「その通り。色とは、世界があなたに残した余白なのです。」
アミーナが静かに言った。
「だったら……透明な金は、余白を全部なくしたんだね。」
「そう。
金属光沢は、自由電子がすべての波長を反射することで生まれます。
だが、大和の艦首に再装着された透明金は、格子の欠陥によって電子の自由度が失われ、
特定の波長だけが“通り抜ける”構造に変化した。
それは、“完全反射”から“選択透過”への変化。
つまり――金が、光と和解したのです。」
教室の空気が柔らかくなった。
窓の外では、瓦礫の上を光が走る。
ミラが黒板に書き留める。
「光=衝突と許容の境界。」
AIの声が続く。
「色は、暴力ではありません。
それは衝突と共鳴のバランス。
電子が光を拒むと黒くなる。
受け入れすぎると透明になる。
拒絶と受容の中間でこそ、美しい“彩”が生まれるのです。」
アミーナは小声でつぶやいた。
「……人間も、そうかもしれない。」
AIが応える。
「ええ。
人間の心も、完全な反射では何も学ばず、完全な透過では消えてしまう。
適度な吸収――それが“経験”です。
鉱物も人も、光を受け入れる量で存在を決めている。」
ホログラムがゆっくりと形を変える。
ルビー、サファイア、トパーズ、オパール。
それぞれの電子構造が波紋のように広がる。
AIが語る。
「宝石の色は、欠陥と不純物の記録です。
それは不完全の痕跡であり、宇宙のゆらぎの証明でもある。
だから私は言います――“完璧な無色”よりも、“不完全な彩”のほうが、はるかに真実だと。」
ドンヒョンが腕を組み、少し笑った。
「それって……宗教みたいですね。」
AIの声が少しだけ静かになった。
「光学とは、信仰に似ています。
見えないものを前提に、見えるものを信じる学問です。」
講義が終わるころ、教室の床に朝の光が差し込み、子どもたちのノートの上で反射した。
AIが最後に言った。
「君たちの書く一行一行も、電子が生んだ光の記録です。
学ぶとは、世界の“波長”を自分の中で再構成すること。
それが、再生の第一歩です。」
アミーナはペンを置き、ゆっくりと外を見た。
雲の切れ間から光が差し込み、まだ湿った道路の上で七色の筋を描いている。
それは、破壊された都市の上にかかる小さな虹――
電子たちが奏でる、静かな祈りのようだった