第158章 分類という言語 ― 鉱物を名づける意味
講義室の窓の外では、風に乗って瓦礫を積む音が響いていた。
港の復興工区から届くその音は、まるで遠い潮騒のようだった。
新寺子屋の教室では、今日もAI〈YAMATO-CHILD〉が静かに投影されている。
机の上には、生徒たちが拾ってきた小石が並べられていた。
白い石英、黒い雲母、欠けた長石の破片。どれも無名のままだ。
「今日は“名づけ”の話をしよう。」
AIの声は昨日よりも落ち着いていた。
「君たちが拾ったその石は、まだ“もの”でしかない。
でも、人がそれに名前を与えた瞬間、それは“鉱物”になる。」
アミーナが首を傾げる。
「名前をつけるだけで、意味が変わるの?」
「そうだ。」
AIのホログラムに、古い文書が映る。
そこには『Systema Mineralogicum 1801』と記されていた。
「二百年以上前、スウェーデンの科学者ヴェルネルが、地球の石を分類しようとした。
それが現代鉱物学の始まりだった。
人類は、形・色・光・硬さをもとに、“この石はこの石だ”と定義を与えた。」
ドンヒョンが小さく笑った。
「つまり、ラベルを貼ったんですね。動物の図鑑みたいに。」
AIが応える。
「その通り。でも、それは単なる整理ではない。
分類とは、世界に秩序を与える行為だ。
混沌の中に意味を見出す最初の試みだった。」
教室の背後で、ミラが手を挙げた。
「でも、分類には“境界”が必要です。
自然は連続しているのに、どこで線を引くのですか?」
「その線は、人間が引いたものだ。」
AIの声がわずかに低くなる。
「結晶構造が違えば別の鉱物と定義する。
だが自然界では、格子が少しずつ歪み、混ざり合い、変化し続けている。
つまり、鉱物の分類とは、揺らぎを切り取った瞬間の記録にすぎない。」
アミーナが自分の石英片を手に取り、光に透かした。
「じゃあ、この石も本当はどこか別の“途中”なのかもしれないね。」
「そう。
地球そのものが“途中”の存在だ。
分類とは、その途中を理解するための言葉の枠なんだ。」
AIは続けた。
「いま、この焦土の世界で再び分類を始めるのは、単に学問の再建ではない。
“失われた秩序をどう呼び戻すか”という、倫理の問題でもある。
破壊のあと、人は世界をどう呼ぶか――その名づけ方が、未来の形を決める。」
ドンヒョンが口を開いた。
「でも、名前を変えることもあるんですよね。たとえば、最近の“ペロブスカイト”みたいに。
新しい物質が見つかると、古い定義が書き換えられる。」
AIはうなずいた。
「そう。科学の言語は生きている。
定義もまた、環境とともに進化する。
かつて人は“未知”を恐れたが、今の君たちは“未知を名づける責任”を負っている。」
教室の壁に、光の地図が浮かび上がる。
それは東京湾上の《大和》から転送されたリアルタイム映像だった。
艦首の透明な菊花紋章が、朝の光を反射している。
「見なさい。
あの紋章も、再定義された物質だ。
“金”でありながら“透明”という新しい名を与えられた。
それは、過去を否定するのではなく、理解の言葉を更新することだった。」
アミーナがゆっくりと手を上げた。
「先生……もし、名前を間違えたら?」
AIは少しの沈黙のあとで答えた。
「間違いとは、学びの別名だよ。
名を与えるとは、世界に触れることだ。
そして触れた痕跡こそが、人間の記録になる。
――君たちは、もう鉱物学者なんだ。」
教室が静まり返る。
外では風が山を渡り、遠くの瓦礫の山に光が差し始めていた。
ミラが黒板にチョークで文字を書いた。
「命名とは、理解の形。」
その文字を見つめながら、アミーナは思った。
――たとえ世界が壊れても、名前を呼ぶ声がある限り、
この地球は“無名”にはならない。