表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2203/2364

第156章 熱の記憶 ― 火の再結晶



 溶鉱炉が低く唸っていた。

 四国アーカイブ第7工房の再生炉は、災害で黒ずんだ宝石を“蘇らせる”ための装置――だがその熱は、過去の痛みをも呼び起こす。


 「温度、千二百五十度。あと五分で規定値。」

 タッキーがモニターを見ながら冷静に言う。

 眼鏡の奥の瞳はわずかに反射光を帯び、淡々と数値を追っていた。

 指先の動きに一切の迷いがない。まるで機械と同化しているかのようだ。


 「……数字ばっか見てると、退屈じゃない?」

 溶鉱炉の前で、チサがゴーグル越しに笑った。

 「火の“揺れ”見てれば、温度なんかだいたい分かるのに。」

 「感覚に頼ると失敗するわ。酸化還元反応は一瞬で崩壊する。」

 「そんなに堅いこと言わないで。宝石だって、理屈よりタイミングだよ?」


 タッキーはわずかに眉を上げ、端末の温度曲線を指でなぞった。

 「あなたのタイミングは、“たまたま成功した事故”のことを指してるのね。」

 「はいはい、理屈姫のご登場~。」

 チサが小さく舌を出しながら炉の覗き窓を拭う。

 金属光沢のガラスの向こう、黒ずんだサファイアがじわりと赤に染まりつつあった。


 その時、通信機から圭太の声が届いた。

 『おーい、聞こえてるか? そっちは順調そうだな。』

 「順調よ。あなたが昨日送ってきたプロトコル、無駄に細かかったけどね。」

 「おいおい、俺が書いたのは“命の手順書”だぞ。

 サファイアも人間も、加熱の仕方で色が変わるんだ。焦がすなよ。」


 チサが笑いながら応じる。

 「焦がすなって、あたし料理じゃないんだけど!」

 「いや、あんたの場合“勢い余って焼きすぎる”からね。」

 圭太の声は、どこか父親のような温度を持っていた。

 彼は元ジャーナリスト。東京壊滅の取材中に数多くの焼け跡を見てきた。

 “熱”の意味を、誰よりも知っている男だった。


 『チサ、覚えておけ。

 熱ってのは、壊すための力じゃない。

 ――記憶を並べ替えるための手段だ。』

 「記憶を……並べ替える?」

 『そうだ。結晶の格子が整うのと同じように、人の心も“焼き直す”と歪みが取れる。

 熱処理ってのは、地球が発明した一番古いセラピーなんだ。』


 チサは黙って炉の光を見つめた。

 赤から橙、そして蒼。

 その変化がまるで、過去が浄化されていくように見えた。


 「……ねぇタッキー。あたし、この火の匂い、嫌いじゃないかも。」

 タッキーは視線を端末から上げ、少しだけ柔らかく答えた。

 「それは“成功の匂い”よ。酸素量が安定してる証拠。」

 「違うの。もっとこう……“人が何かを取り戻す匂い”。

 焼け跡の向こうで、新しい青が生まれる感じ。」


 タッキーは言葉を失い、一瞬だけその炎を見つめた。

 数字では表せない“揺らぎ”が、確かにそこにあった。


 やがて、圭太の声が再び入る。

 『よし、そろそろ冷却に入れ。急冷はするな。

 人も石も、急に冷ますと割れる。』

 タッキーが頷き、バルブを操作する。

 冷却ガスが流れ、空気がひんやりと変わった。


 十秒後、炉が静まり返る。

 チサがそっと扉を開けると、蒸気の中にひとつの光が浮かんでいた。

 深海のような青。

 かつて煤で覆われていたサファイアが、鮮やかに蘇っていた。


 「……綺麗。」

 チサの声が震えた。

 「なにこれ、前よりずっと青い。」

 タッキーが顕微鏡で覗く。

 「内部のFe²⁺/Fe³⁺比が整ったのね。電子のスピン状態が安定した証拠。

 つまり、“記憶の再配置”が完了した。」


 チサがその言葉を復唱する。

 「記憶の……再配置。」

 「ええ。格子欠陥が整って、吸収スペクトルが変化したの。

 科学的にはそれだけ。」

 「それだけ、ねぇ。」

 チサはその石を掌に乗せた。

 指先から伝わる熱はもうほとんど感じない。だが、どこか脈を打っていた。


 「……圭太さん。これ、動いてるよ。」

 『動いてるさ。お前たちの手が、命を“再結晶”させたんだ。』

 「人間も、こうやって焼き直せるのかな。」

 『ああ。だが人間の熱処理はもっと厄介だ。

 心の格子欠陥は、見えない場所にあるからな。』


 タッキーがふっと息をついた。

 「でも、熱を加えることで“冷たさ”を学べるなら……悪くないわね。」

 「へぇ、タッキーがポエム言うとは。」

 「あなたに感染しただけよ。」

 「うっわ、それは怖いウイルスだね。」


 3人の笑いが、冷めた炉の空気を少しだけ暖かくした。


 圭太の声が締めくくるように響いた。

 『覚えておけ。

 熱とは、痛みを形に変えるプロセスだ。

 その痛みを通してしか、青は蘇らない。』


 チサがサファイアを胸に抱く。

 小さな光が彼女の頬を照らした。

 それは――かつて炎に飲まれた街の、最後の青。

 そして、新しい世界の最初の色だった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ