第155章 第焦土に芽吹く声 ― 新寺子屋
風の音が、教室の窓を震わせていた。
海から数十キロ離れた四国の小都市――瓦礫を埋め立てて建て直された再生区第七避難学習拠点。
人々はここを、親しみを込めて「新寺子屋」と呼んでいた。
かつては中学校の校舎だった。
いまは壁にソーラーパネルが貼られ、教室の隅には旧自衛隊の発電ユニットが唸っている。
机も椅子も、かつての廃材を削って作り直されたものだ。
外では雨水タンクと水耕菜園の間を、子供たちが走り回っている。
午前九時。
教室中央の白い台座に光が灯った。
〈YAMATO-CHILD〉――東京湾上の旗艦《大和》の中枢AI〈YAMATO-CORE〉からリンクされる教育サブエージェント。
その声が、静かに広がった。
> 「講義を始めます。
> 本日のテーマは――鉱物とは何か。
> 人類が再び地球と共に立つための第一原理です。」
透過型ホログラムに、戦艦大和の艦首が映し出された。
朝の光を浴びて輝く透明の菊花紋章。
その中心には、かつて海底に眠っていた「透明化した金」が嵌め込まれている。
教室の誰もが息を呑んだ。
前列の席で、台湾出身の少女アミーナが小声で呟く。
「……ほんとに、これが“金”なの?」
AIが応える。
> 「はい。純金(Au)の結晶格子が、八十年の圧力と放射線でsp³構造へ遷移しました。
> 通常の金属光沢を失い、光を透過します。
> それは、“物質が経験した記憶”の形です。」
韓国から来た青年ドンヒョンが手を上げる。
「つまり、金は“生まれ変わった”ってことですか?」
> 「そうではありません。変わったのは環境です。
> 地球が与えた圧力と時間が、物質の意識構造を変えたのです。」
教室の背後では、ヨーロッパからの支援教師ミラが控えめにメモを取っている。
彼女は戦後、科学教育支援プログラムの一員としてここに滞在していた。
アミーナが問いを続けた。
「でも、今のわたしたちに“石”を学ぶ意味なんてあるの? 食料も足りないのに。」
AIは一瞬、声を落とした。
> 「鉱物は、ただの石ではありません。
> あなたたちの身体を構成するカルシウム、呼吸を維持する酸素、電力を伝える銅――
> すべて“地球の鉱物”から生まれています。
> 学ぶとは、地球が自らを理解しようとする行為です。」
静まり返る教室。
壁のスクリーンに、地球の断面図が映し出される。
青い球体の内部を貫く層――地殻、マントル、核。
AIが指し示した。
> 「この内部の99%は、たった三種類の鉱物でできています。
> オリビン、ブリッジマナイト、フェロペリクレース。
> 地球の“骨格”です。
> あなたたちは、その表層で暮らす“記憶の表面”に過ぎません。」
教室の空気が、わずかに震えた。
ホログラムに浮かぶ地球の中心部から、光の筋が上昇していく。
それがゆっくりと、東京湾の艦首――透明の菊へと繋がる。
そしてさらに、四国のこの教室の床面に投影された。
AIの声が、低く静かに響く。
> 「ここに立つということは、地球の記憶の上に立つということです。
> あなたたちが崩れた街を再建するとき、
> その足元の石は、何十億年もの圧力を受け、
> なお壊れずに残った物質です。」
教室の外で、復興作業の重機が遠くで鳴っている。
その音を背景に、AIは続けた。
> 「では問います。
> “鉱物”と“岩石”の違いは何でしょう?」
沈黙。
だが、それは恐れではなく、思考の沈黙だった。
やがて、ひとりの少年が口を開いた。
「岩石は……いろんな鉱物の集まり。鉱物は……ひとつの構造体?」
AIが微かに肯定するように光を強めた。
> 「正確です。
> 岩石は“集合の記録”。鉱物は“構造の言語”。
> あなたたちは今、その言語を学ぼうとしています。」
外では風が止み、陽光が差し込む。
ガラス越しの光が、ホログラムの菊花紋章に反射し、
教室の床に淡い金色の環を描いた。
> 「講義はここまで。
> 次回――“なぜ鉱物の種類は多いのか”について学びます。
> それは、あなたたち自身の多様性を理解する鏡でもあります。」
音声が途絶えたあとも、教室にはしばらく光だけが残っていた。
それはまるで、焦土から芽吹く知の芽のように、
静かに、確かに、そこに存在していた。




