第154章 透明なる菊 ― 二つの大和を結ぶ結晶
東京湾上空の空は、冬の光を鈍く返していた。
かつての首都の廃墟を囲む灰色の海。その中央に、臨時政府の拠点となった**新生《大和》**が静止している。
だが艦首の紋章は、往年のものではなかった。
黄金ではなく、淡く透き通る光を宿していた。
その“透明の菊”の由来を知る者は、今やごくわずかだ。
それは、80年前に坊ノ岬沖で沈んだ初代《大和》の艦首紋章である。
2025年代初頭、深海掘削艇〈しんかい6500改〉による調査で、
海底泥に埋もれたその紋章が発見された。
当初は単なる海底遺物として回収されたにすぎなかった。
だが、京都大学附属の埋蔵文化財研究所・極限物質保存室で行われた解析が、その認識を覆す。
放射線分光・ラマン分光・透過電子顕微鏡。
どのデータも同じ異常を示していた――金ではない。
菊花紋章は、表層わずか数ミクロンの層で、格子構造が完全に変化していた。
単純立方でも体心でもない。
炭素のダイヤモンド構造に酷似した、四面体的結合を持つ金の同素相。
名付けられた学名は「Aurelia phase-Ⅰ(オーレリア相第一型)」。
金が“ダイヤモンド化”するなど、本来あり得ない。
だが初代大和の沈没後、海底では80年にわたり、
放射線物質の微量拡散、海水圧力(約400気圧)、有機沈降物の還元環境、
そして戦後核実験由来の放射性プルトニウム微粒子との長期接触が進行していた。
電子軌道の一部が内殻遷移を起こし、金原子の外殻電子配置が局所的にsp³様に固定された。
つまり、
> 「時間と圧力が、貴金属に“透明”という性質を与えた」
のである。
紋章は京都へ搬送され、研究所の地下保管庫に封印された。
だが、2025年の首都壊滅と東京湾の再興計画の中で、再びその存在が注目される。
臨時政府旗艦として浮上した《新大和》の艦首には、
核戦争後の再生の象徴として何を掲げるべきか――長い議論の末、
透明化した“旧大和の紋章”が選ばれた。
京都で封印を解かれたその菊花は、
特殊合金の支持体に収められ、無菌の航空輸送艇で東京湾へ運ばれた。
再装着の瞬間、艦首の照射灯が一斉に点灯した。
透明な菊が、光を内から返した。
黄金ではなく、青白い光。
まるで、過去の記憶が昇華したかのようだった。
AI《YAMATO-CORE》は、その瞬間の反射スペクトルをすべて記録した。
そのスペクトルの中に、**通常の金属反射では存在しない「透過波長帯(480–510 nm)」**があった。
金が、光を通していた――。
> “なぜ、金は透明になり得たのか。”
その問いは、戦後最初の科学課題として、臨時政府の教育プログラムへ組み込まれた。
やがて、**四国の小都市で始まる「新寺子屋」**において、
この透明な菊が最初の講義題材となる。
――「透明な金」は、敗戦の象徴ではなかった。
それは、人類が初めて“絶望を再結晶させた”証だった。
YAMATO-COREは、その紋章データを静かに転送する。
受信先は、四国のAI端末――教育用分岐体〈YAMATO-CHILD〉。
「授業を開始する。
――テーマ:物質の記憶と、光の通過条件について。」
遠く離れた山あいの教室で、再生の鐘が鳴った。
その日、人類は再び“石”から学び始めたのだった。