第153章 手品と歴史とジョーカーの行方
第1節 消えるトランプ、現れる記憶
(夜の大学の手品サークル「幻灯会」部室。
裸電球の下、トランプが静かに並べられている。
渡辺さんが無言でカードをシャッフルしている。)
渡辺さん
……ねぇ、このカード、昨日までは52枚あったんだよ。
でも、今朝数えたら、51枚しかない。ジョーカーが消えた。
小林さん
(ジュース片手に)
また始まった〜。渡辺さん、最近「消えたもの」ばっかり探してない?
スマホとか、時間とか。
高橋さん
(煙草を吸うふりをしながら)
ま、手品サークルの性よ。何かが消えないと、始まらないのよ。
伊藤さん
(ノートをめくりながら)
でも、それ、なんか象徴的じゃない? ジョーカーって、予測不能の象徴でしょ。
……もしかして、テーマにできるかも。
渡辺さん
(小さく笑い)
うん。“消えるジョーカー”。
――たとえば、トレブリンカの話に似てる。
(場が静まる。全員が、何の話か掴めないまま見つめる。)
佐藤くん
(おそるおそる)
ト、トレブリンカって……? アウシュビッツと同じなんですか?
渡辺さん
同じではない。
アウシュビッツは“収容”も“労働”もあったけど、
トレブリンカは“殺すためだけの場所”。
入口があって、出口はなかった。
小林さん
えっ……でも、それって“施設”って呼べるの?
渡辺さん
呼べない。呼べないけど、行政の書類では「労働再配置センター」って書かれてた。
……言葉が手品みたいに人をだますの。
第2節 語られたトレブリンカ、設計された死
(課長と主任が登場。課長はなぜかテンションが高い。)
課長
おっ、いいテーマじゃないか! トレブリンカ!
歴史を“見せるマジック”ってわけだな!
主任
(冷静に)
課長、マジックじゃなくて、授業用プレゼンの話です。
しかも題材が“死の収容所”なので……テンション下げてください。
課長
お、おう……そうか。
だがな、君たち。トレブリンカは効率の極致なんだ。
たった1年半で、約90万人。
――狂気のオペレーションだ。
高橋さん
(眉をひそめ)
“効率”って言葉が、もう怖いわね。
だって、それ、人間の命を“数値化”してるんでしょ?
伊藤さん
T4計画の技術が転用されたんだよね。
最初は“安楽死”の名で、医療ガス室を使って。
そこから、“改良版”がトレブリンカに運ばれた。
渡辺さん
(頷きながら)
つまり、殺すことが“工程化”された。
ガス室、換気、遺体処理、焼却――
全部、時間と効率で測られた。
……カードを並べるみたいに。
佐藤くん
(震える声で)
じゃあ、“魔法”って言葉、使えないですね……。
小林さん
うん。
あの時代、“言葉”そのものがマジックだった。
“移送”“特別処理”“再配置”――
全部、人をだます呪文。
第3節 アウシュビッツの鏡 ― 幻と現実のあわい
(空気が重く沈む中、渡辺さんはジョーカーのカードを立てて見つめている。)
渡辺さん
アウシュビッツは違う。
あそこは「合理化の果て」。
ガスの量も、焼却炉の温度も、換気時間も――全部、計算された。
それが“近代”の恐ろしさ。
主任
(ノートを指で叩きながら)
トレブリンカは“殺すこと自体が目的”。
アウシュビッツは“殺しを維持するシステム”。
構造が違う。
前者は即死、後者は制度死。
高橋さん
(ため息)
人間が“魔法”を信じたせいで、
科学が“魔術”になっちゃったのね。
伊藤さん
(小声で)
……それでも、信じたかったんだと思う。
「自分だけは助かる」って。
希望って、時々、毒になるんだよ。
小林さん
(スマホを構えて)
ねぇ、今の話、記録していい?
なんか……誰かがこれを忘れたら、もう一回“消える”気がする。
渡辺さん
(カードを見つめたまま)
うん。消えるのは、人じゃなくて記憶。
でも、手品師の仕事は、
“消えたように見せて、実はまだそこにある”って伝えることなんだ。
(渡辺さんが、ゆっくりとカードを開く。
消えていたはずのジョーカーが、いつのまにか戻っている。)
佐藤くん
……戻ってきた。
渡辺さん
そう。記憶も、きっと戻る。
忘れなければね。
(照明が少し暗くなる。
部室の窓の外、夜風が吹き抜ける。)