表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2197/2749

第150章 到着 ― 灰の列車(約2000字)




 夜が終わる前に列車は止まった。

 鉄の車輪が軋み、誰かが外から扉を叩いた。

 「Raus!(出ろ!)」――怒鳴り声と同時に、犬の唸り声が響く。

 人々は互いの体を押し合いながら出口を探した。

 暗闇の中で、呼吸の音と布の擦れる音だけが続く。

 木の床には排泄物の臭い、汗、血、そして恐怖が染みついていた。


 外に出た瞬間、空気が焼けた鉄のように冷たかった。

 見渡す限りの鉄条網。

 高い監視塔の上で、探照灯が動く。

 その光が人々の顔を一瞬だけ照らし出す――

 蒼白で、乾ききった頬、震える唇、腕の中で泣き叫ぶ子供。


 プラットフォームの先には、制服の男たちが並んでいた。

 黒いブーツ、銀のドクロ章、整列した姿。

 命令は短く、機械のようにリズムを刻む。

 「右、左。右、左。」

 それだけ。

 意味も理由も告げられなかった。


 その列の間を通るとき、Kは気づいた。

 男たちはまるで検査官のように淡々としていた。

 目の前に立つ若い医師が、わずかに眉を上げる。

 「Arbeiten?(働けるか?)」

 Kは咄嗟にうなずいた。

 足が震えていたが、それでも立って見せた。

 医師の指が右を示す。

 ただそれだけで――Kは生き残った。


 左へ送られた者たちは、もう戻ってこなかった。

 女と子供が多かった。

 白衣の兵士が優しく微笑みながら言う。

 「すぐにシャワーを浴びられますよ。服をたたんでください。」

 その言葉に、安堵の息が漏れる。

 老女は手を合わせ、神に感謝の祈りを捧げた。

 だがそれが最後の言葉になった。


 広場には山積みの荷物。

 スーツケース、靴、メガネ、玩具。

 それぞれに名前が書かれていた。

 “ヘレナ・シュピルマン 1937年 ロッジ”

 “ユダ・レヴィン 家族 5名”

 名前は残り、持ち主だけが消えていた。


 風が吹いた。

 遠くの煙突から、白い煙が昇っていた。

 最初は霧だと思った。

 だが鼻を刺す焦げた臭いが、そうではないことを教えた。

 誰かが囁いた――

 「焼いているのは……人だ。」

 その言葉は空気よりも重かった。


 午後、Kは他の男たちと共に木造のバラックに押し込まれた。

 番号札の代わりに、腕に入れ墨が刻まれた。

 針が皮膚を刺すたび、痛みよりも存在が奪われる感覚があった。

 “名前”が数字に置き換わる。

 「B-11674」

 それがこの場所での新しい呼び名だった。


 食事は薄いスープと黒いパン。

 パンの中には、石のような塊が混ざっていた。

 誰も文句を言わない。

 言えば殴られた。

 時々、銃声が聞こえた。

 誰が撃たれたか、誰も見に行こうとはしなかった。


 夜になっても、空は灰色のままだった。

 煙突の火は消えない。

 息を吸うと、喉が焼ける。

 Kは眠れず、枕の代わりに木の板に顔を押しつけた。

 耳の奥で、かすかに歌声が聞こえた。

 どこかのバラックから、母親のような声で

 ヘブライ語の子守唄が流れてきた。

 それは、もう二度と聞くことのない祈りのようだった。


 Kは目を閉じた。

 頭の中で、列車の音がまだ鳴っていた。

 ゴトン、ゴトン。

 そのリズムは、どこか遠い世界の心臓の鼓動のように感じられた。

 だが、それはもう“未来”へ続く音ではなかった。

 この列車の終点は、世界の終わりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ