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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16

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第149章 1942:絶滅政策の国家決定 ― 産業殺戮体制




(夜。手品サークルの部屋には湯気の立つポットと、机一面に並んだ複写資料。渡辺さんが静かに封筒から一枚の文書を取り出す。そこには「Wannsee-Protokoll(ヴァンゼー会議議事録)」と印字されている。)


渡辺さん

……これは、1942年1月20日。

ベルリン郊外ヴァンゼー湖畔の別荘で開かれた、ヴァンゼー会議の議事録です。

出席者15名。

議題は、ただ一つ――“ユダヤ人問題の最終的解決(Endlösung)”。


小林さん

(身を乗り出して)

その「最終的解決」って……やっぱり、殺すってこと、ですよね?


渡辺さん

(淡々と)

はい。

でも、議事録には「殺す」という言葉は一度も出てきません。

代わりに使われているのは――「処理」「移送」「適正配置」。

会議の主催はハイドリヒ。

議長席の前には、内務省、外務省、法務省、鉄道省、財務省、そしてSS。

つまり――国家の全機構が揃っていた。


高橋さん

(低い声で)

……それ、つまり“会議で大量殺人を決めた”ってことね。

しかも、法務と財務まで。


渡辺さん

(頷きながら)

そうです。

それぞれの役割が明確に割り振られた。

•外務省:占領地域との外交的調整

•内務省:法的裏付け(市民権剥奪)

•鉄道省:輸送ダイヤの編成

•財務省:没収資産の処理

•I.G.ファルベン社:チクロンBの供給

•建設局:ガス室と焼却炉の設計


会議の議事録は、まるで**SIPOC図(工程管理表)**のようなんです。

供給者・工程・出力・顧客――その全てが、“死のプロセス”で定義されていた。


小林さん

(驚いたように)

じゃあ、まるで……会社のプロジェクト計画みたいですね。


渡辺さん

その通り。

「国家」という巨大企業の会議です。

KPIは――“対象者数の削減”。

参加者たちは、数字と工程の整合性を確認し、リスクを評価した。

議事録にあるフレーズを読んでみましょう。


「ユダヤ人は労働力として一時的に利用されうるが、最終段階においては適切な処理が必要である。」


“適切な処理”。

官僚語の中に、死が埋め込まれている。


高橋さん

(鼻で笑いながら)

ほんと、官僚ってどの国でも似た言葉を使うのね。

「適切」「効率」「負担軽減」……

全部、現実から目をそらすための言葉。


渡辺さん

(淡々と)

この会議を経て、実行段階に入ります。

コードネーム――“ラインハルト作戦”。

ベルゼツ、ソビボル、トレブリンカ。

東ポーランドに建設された三つの絶滅収容所。

設計思想は、「効率化された死」。


小林さん

(声を潜めて)

……どういう“効率化”ですか?


渡辺さん

(資料を指し示す)

工程は、こうでした。

1.鉄道で到着(ドイツ国鉄の時刻表に組み込まれていました)

2.プラットフォームで「選別」――労働力か、即時処理か

3.ガス室へ誘導(“シャワー室”と偽装)

4.チクロンB散布(I.G.ファルベン製)

5.換気(約30分)

6.死体搬出・歯の金属除去・髪の切断

7.焼却炉へ搬入(Krematorium II–V)

8.金属回収・灰の再利用(肥料・道路舗装材)


――1日、3〜5サイクル。

「処理能力」は日量6,000〜10,000人。


小林さん

(息を呑む)

……そんなに……。

でも、どうやって……?


渡辺さん

(指先で鉄道地図をなぞる)

鍵は**ドイツ国鉄(Reichsbahn)**です。

鉄道は民間企業として、運賃を請求していた。

1人あたり片道4ペニヒ。

往復切符を発行した例もあります――帰る予定がないのに。

輸送台帳、燃料計算、貨車割り当て――全部、正規の経理処理。


つまり、“殺害”は物流業務として運用されていた。


高橋さん

……じゃあ、鉄道会社の社員たちは、全部知ってたのね?


渡辺さん

多くは「何を運んでいるか」知っていました。

でも、書類上は“移送”“再定住”。

誰も“殺人”とは書かなかった。

だから罪悪感は薄かった。

書類が現実を洗浄していった。


小林さん

(呟く)

……言葉が、洗剤みたいですね。


渡辺さん

(うなずく)

まさに。

しかも、その工程は常に最適化されていった。

焼却炉の燃焼効率、ガス散布の粒度、換気時間、労働者の交代サイクル。

すべてが“改良”の対象。

焼却炉の設計を担当した建築会社の報告書には、こうある。


「燃料節約のため、複数死体を重ねることで熱効率を向上させた。」


高橋さん

(目を細めて)

……まるで、生産ライン。

製造業の発想ね。


渡辺さん

ええ。

国家・企業・官僚――その三者が、殺害の生産管理を担った。

化学企業I.G.ファルベンはチクロンBの供給と同時に、アウシュビッツ第III構内に自社工場(Buna Werke)を建設。

つまり、ガス殺と合成ゴム生産が同一敷地内で行われていた。


労働者は囚人。

彼らの生命は、作業能率で測られた。

平均寿命――3ヶ月。


小林さん

(うつむいて)

……じゃあ、働けなくなった人は……?


渡辺さん

「資源回収ライン」へ送られました。

歯の金、髪の毛、衣類、眼鏡、靴――すべて再利用。

ベルリン財務省の文書には、押収品の市場換算額まで記されている。

死者一人あたり平均13マルク。

帳簿には、“収益”。


高橋さん

(怒気を含んで)

……もう、完全に会社の決算書じゃない。

これを「行政」って呼ぶの?


渡辺さん

(静かに)

呼びます。

なぜなら、手続き上は合法だった。

法務省が根拠を与え、会計局が予算を承認し、

鉄道が請求書を出し、

企業が納品書を添付した。

死が文書化されたとき、倫理は消えた。


小林さん

(泣きそうな声で)

……じゃあ、止めるチャンスはなかったんですか?

誰も、「これはおかしい」って言わなかった?


渡辺さん

(少し考えてから)

ありました。

現場の技師の中には「炉の過負荷で危険だ」と報告した者がいる。

でも、上層部は“効率の改善提案”と受け取った。

倫理はKPIの外に置かれていたんです。

つまり、“道徳にアクセスできる設計点”が、工程図から消された。


高橋さん

(低く)

……だから、止まらなかったのね。

“改善”が止める力を上回った。


渡辺さん

(頷く)

そう。

産業と官僚が結合した時、人間は「倫理的失敗」を起こす前に、“成功”してしまうんです。

それが1942年の恐ろしさ。

人々は狂っていなかった――整然と働いていた。


小林さん

(俯いたまま)

……じゃあ、あの会議室の人たちは、みんな普通の大人だったんですね。


渡辺さん

(目を閉じて)

はい。

机の上には議事録、コーヒー、ペン。

そして、書類の最後にこう書かれていました。


「本件に関し、今後の実務的協力を各部門に求む。」


冷静な署名。

それが、600万人の死に直結した。


(沈黙。時計の秒針だけが響く。)


高橋さん

(ぽつりと)

……「工程最適化」。

誰のKPIだったんだろう。


渡辺さん

(ゆっくりと)

誰のでもあり、誰のでもなかった。

SSの現場、企業の納入担当、官僚の書記。

みんな自分の“職務”を果たしただけ。

――でも、だからこそ止まらなかった。


小林さん

(涙を拭いながら)

……私たちは、どこで止められるんでしょうね。


渡辺さん

(カードを取り出し、黒いペンで丸を描く)

ここです。

(紙には、ひとつの工程図。途中に赤い丸。)

“倫理介入点”。

もし、誰かがここで「なぜ?」と聞けたなら――

歴史は変わっていたかもしれません。


高橋さん

(深く息を吐き)

……次は、その“終わり”ね。


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