第144章 閉ざされた街 ― ゲットーという実験場
私は最初、それが“殺す場所”だとは思わなかった。
ワルシャワへ着任したのは1940年10月。
街にはまだ戦前の香りが残っていた――トラム、コーヒーの匂い、新聞売りの声。
だが、その中心に、目に見えない壁が築かれつつあった。
それを人々は“ゲットー”と呼んだ。
だが当時、上官は違う言葉を使っていた。
> 「衛生隔離区」「疫病管理区域」
――もっともらしい理屈をまとった言葉だった。
壁は高さ3メートル、頂部にガラス片。
総延長は16キロに及び、レンガを積む音が昼夜響いた。
その向こう側へ、40万人以上のユダヤ人が押し込められた。
門は十数カ所、鉄条網と憲兵。
通行証を持つ者だけが通れる。
誰もそれが“生きて出られぬ街”になるとは知らなかった。
私の任務は記録だった。
ロッジ・ゲットーでの「食料配給と死亡統計」を集計し、週報にまとめる。
毎日届く数字。
パン配給量:一人あたり1日180グラム。
死亡数:本日87。
飢餓、チフス、冷え――原因の欄は淡々としている。
数字は、すべて整然としていた。
秩序はあった。
だからこそ恐ろしかった。
ある日、区長を名乗るユダヤ人男性がやってきた。
彼は上品なドイツ語を話し、ネクタイを締めていた。
「我々は協力したい。子どもたちのためにスープをもう少しだけ……」
上官は笑って答えた。
「秩序を保て。お前たちの使命は死ぬ順番を決めることだ。」
彼は沈黙し、ただ立ち去った。
その背中が、なぜかまっすぐに見えた。
冬。
ワルシャワ・ゲットーでは雪が壁の上まで積もり、
道の両脇に凍った遺体が並んだ。
誰も驚かない。
市民は遺体を布で包み、角に積み上げる。
“道が狭い”という理由だった。
私は一度だけ中を歩いた。
軍医の付き添いで“疫病確認”という名目だった。
子どもたちが路地の隅で遊んでいた。
空き缶を蹴り、笑っていた。
だがその笑い声の向こうで、
母親が鍋を空でかき混ぜていた。
鍋の底には、石ころと紙切れが煮えていた。
同行していた軍医がメモを取った。
「栄養状態、急速に低下。疫病拡大の危険。」
そして冷ややかに言った。
「処置が必要だ。」
その“処置”が、後に意味するものを私はまだ知らなかった。
1941年夏、東部戦線の報告が届いた。
「銃殺によるユダヤ人処理、月間十万件超。」
私の上官はその数字を見て、眉をひそめた。
「非効率だ。弾薬が足りない。」
そしてこう続けた。
「都市の中で、より自然に、より安静に進められる方法を試すべきだ。」
その言葉が、“ゲットー”という名の実験の始まりだった。
飢餓を利用し、病を広げ、秩序を維持する。
殺さずに死なせる。
それが「管理の成功」だと教えられた。
1942年7月。
私はワルシャワ駅のホームに立っていた。
“再定住輸送”という作戦の始動日だった。
列車の先頭に、赤いチョークで書かれていた。
> “Lublin / Treblinka”
数千人が列をなして歩く。
子どもを抱く女、杖をつく老人。
「新しい労働地で仕事がある」と告げられていた。
誰も抵抗しなかった。
兵士たちは整然と誘導し、銃を撃つ必要はなかった。
効率は上がった。
記録上、「再定住:7000人」
だが、目的地には労働場は存在しなかった。
その夜、報告書の末尾に一文を加えた。
> 「本日、ワルシャワ・ゲットーより出発した再定住者7,254名。秩序良好。」
ペンを置いたとき、手が震えていた。
何が“秩序良好”なのか、もう分からなかった。
数ヶ月後、ゲットーは焼かれた。
ワルシャワ蜂起。
武装した若者たちが抵抗し、街は火の海になった。
私たちは上からそれを見下ろしていた。
上官が双眼鏡を覗きながら言った。
「よく燃えるな。感染源の根絶だ。」
瓦礫の中から、ヴァイオリンの音が聞こえた。
崩れた建物の下で誰かが弾いていた。
火の粉が雪のように降り注いでいた。
音は震えていたが、確かに旋律だった。
その音を聴いて、私は思った。
――これは殺戮ではなく、実験なのだ。
死の中で秩序を保つ実験。
理性を使って破壊する、人間という種の試み。
戦後、私はその報告書を再び読むことになる。
「ワルシャワ・ゲットー、最終的清掃完了」
紙の上の文字は、あの冬の日よりも冷たく見えた。
だが私は、あの街の音を忘れない。
壁の向こうの笑い声、鍋の音、ヴァイオリン。
それらは、秩序の中で窒息した文明の心音だった。
人間は狂気によってではなく、手順によって殺す。
それを私は、あの閉ざされた街で学んだのだ。




