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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16

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第143章 閉ざされた街 ― ゲットーという実験場



(部室。蛍光灯の光がやや暗く、机の上には積み上げられた白い紙と、黒いトランプの束。

外は雨。窓の外の灰色の街を見ながら、渡辺さんがゆっくりと話し始める。)


Scene 1 「壁の中の秩序」


渡辺さん:

ねえ、みんな。“壁の中の街”って、想像したことありますか?

一見ふつうの都市だけど、周囲に高い壁があって、出入りには許可証がいる。

中では市場が開かれ、学校もある。

でも、そこに入ったら――二度と外には出られない。


小林さん:

え、それって……監獄じゃないですか?

でも、市場とか学校があるなら、なんか普通っぽいというか……。


高橋さん:

普通なんて言葉、危険よ。

1940年のポーランド、ワルシャワ・ゲットー。

そこには40万人のユダヤ人が詰め込まれてた。

壁の高さ、3メートル。上にはガラスの破片。

逃げようとしたら即射殺。

しかも、その壁を造ったのは――中に入れられた本人たちだった。


佐藤くん:

……自分で、閉じ込められる場所を造るんですか。

なんか……マジックの“自縛トリック”みたいですね。

逃げられるはずのない箱に、自分で入って鍵を閉める。


主任:

(苦い笑みで)

それが「秩序」ってやつだ。

当時のドイツの文書では、こう書かれてる。


“都市衛生上の隔離措置。伝染病防止のため。”

表向きは、健康管理だった。

でも実際には――社会的絶滅の予行演習だったんだよ。


Scene 2 「死を設計する書類」


伊藤さん:

(資料を広げながら)

ほら、これ。1941年、ロッジ・ゲットーの“食糧配給表”。

成人一人あたりのパンの割当――1日180グラム。

リンゴ1個で一週間分のカロリー。

それでも記録上は「供給安定」と書かれている。

「飢餓」は、武器じゃなく“手続き”だったの。


課長:

(ペンを回しながら)

なるほど、殺すのに銃もガスもいらない。

計算機と印章だけでいいわけか。

「行政的殺人」ってやつだね。


高橋さん:

そう、ナチスは書類で殺したのよ。

現場の命令書には、“処理”“再定住”“衛生改善”って書いてある。

誰も「殺す」とは書かない。

でも、その言葉の下で毎日人が死んでいった。


小林さん:

……うわ。

言葉の魔法みたい。

「処理」って言い換えた瞬間に、罪悪感が消える。


渡辺さん:

そう。

手品でもそうだけど、**“言葉の置き換え”**は最大のトリックなんです。

観客が「危険」じゃなく「演出」と思った瞬間、現実の痛みは消える。

彼らも、たぶんそうやって心を麻痺させていた。


Scene 3 「壁の中の音」


佐藤くん:

ゲットーの中って、どんな感じだったんですか?

食べ物とか、仕事とか……。


伊藤さん:

仕事はあったよ。

靴工場、縫製工場、廃材処理。

でも賃金は出ない。

働く目的は、生き延びるための口実。

それでも人は歌を歌い、ヴァイオリンを弾いた。

戦後の証言にあるんだ。


“壁の外の銃声が止まると、私たちはピアノを弾いた。

それだけが、生きている証だった。”


高橋さん:

でも、その音楽さえ利用されたのよ。

ナチスは“文化的自活”って宣伝した。


「ユダヤ人にも生活がある」

って。

実際は、死ぬまでの過程を“社会実験”として観察してただけ。


主任:

人間を、社会の中でどう「段階的に消すか」。

暴力じゃなく、秩序で消す。

その実験のモデルが――ゲットー。


小林さん:

……ねえ、それって結局、「きれいな殺し方」ってこと?


渡辺さん:

(うなずいて)

そう。“汚れない殺人”の始まり。

血を見ずに死を設計する文明の、最初の装置です。


Scene 4 「再定住列車」


(部室の照明が一瞬、ちらつく。

渡辺さんが机の上に線路のようにカードを並べる。)


渡辺さん:

1942年7月22日――

ワルシャワ・ゲットーから、最初の“再定住列車”が出た日です。

目的地は「東部の労働地」と発表された。

実際の行き先は――トレブリンカ。


佐藤くん:

(低く)

その時、誰も知らなかったんですか? 

その先が、死だってこと。


伊藤さん:

知ってた人もいた。でも、言わなかった。

家族を落ち着かせるため、


「向こうには畑がある」「仕事がある」

って。

“希望”もまた、秩序の一部にされたの。


高橋さん:

駅の記録にはこう書いてある。


「再定住:秩序良好、列車編成完了、人数7,254名。」

一文も、悲しみがない。

でもその裏で、7000人分の音――足音、泣き声、祈り――があった。


課長:

(沈黙し、やがて低く)

秩序ってやつは、音を消すんだな。

整列すれば、死の行進でさえ“静か”になる。


Scene 5 「部室の終わりに」


(雨音が強まる。窓の外の街灯が、濡れたガラスに揺れている。)


小林さん:

……じゃあ、ゲットーって結局、何だったんですか?

牢屋でもなく、実験場でもなく――。


渡辺さん:

(少し考えてから)

“鏡”だったと思います。

人間が、自分の作った秩序に閉じ込められる鏡。

自分たちの文明が、どこまで倫理を切り捨てられるかを試した場所。


主任:

そして成功した。

ゲットーの秩序は完璧に機能した。

だからこそ――次の段階に進めた。

“輸送”と“最終解決”。


高橋さん:

(静かに)

つまり、人間は「地獄を管理できる」ってことを証明しちゃったのね。


佐藤くん:

……そんなの、マジックじゃない。

ただの――悪夢ですよ。


渡辺さん:

でも、忘れないで。

どんなトリックも、観客が目を逸らした瞬間に完成するんです。

彼らがしたのは、それだけ。

見なかった。気づかないふりをした。

だから、魔法は続いた。


(雨の音が止む。

渡辺さんがカードを一枚、裏返す。そこには黒い四角――壁の絵。

全員、黙ってそのカードを見つめている。)


終わりの静寂


課長:

……その壁の向こう側に、まだ誰かがいる気がするね。


渡辺さん:

ええ。

歴史はいつも、同じ手品を繰り返す。

観客が変わっても、トリックは変わらない。


(蛍光灯が、ゆっくりと明滅を繰り返す。)

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