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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16

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第142章 差別の制度化 ― 法と科学による隔離




(夜の大学棟。外は雨。窓ガラスに街灯がぼんやり滲み、サークル室の中では古い掛け時計の音だけが響いている。テーブルの上には資料のコピーと数枚のカード。渡辺さんが静かにその束を整える。)


渡辺さん

(眼鏡を外しながら)

……さて、前回は「ホロコーストが“秩序”として行われた」という話をしました。

今夜は、その秩序がどう作られたか――つまり、“法と科学”がどう暴力を形にしたか、というお話です。


小林さん

(少し緊張気味に)

法と科学……ですか?

なんか、正反対な気がします。法は人を守るもので、科学は進歩の象徴って感じがしますけど。


高橋さん

(苦笑しながら)

あんた、若いね。

守るはずのものが、いつだって“武器”に変わるのよ。

昔の日本だって、治安維持法とかあったじゃない。


渡辺さん

(うなずく)

そう。

ナチス・ドイツでも、すべては**“合法的”**に始まりました。

1933年、「国家再建法」が制定され、国会の権限が停止される。

ヒトラーは“民主的な手続き”で独裁を得たんです。


小林さん

(驚いて)

え、でも、それって矛盾してません?

民主的に独裁になるなんて……。


渡辺さん

(トランプのカードを一枚、裏返してテーブルに置く)

これが、彼らの最初のマジックです。

“法を使って、法を殺す”。

その次に来たのが「公務員再建法」。

ユダヤ人や共産主義者の公務員を排除する法律でした。

これも、正式な議会で可決されている。


高橋さん

(ゆっくりと)

つまり、法律そのものが、差別の装置になったってことね。


渡辺さん

そうです。

そして1935年、「ニュルンベルク法」が制定されます。

ここで“ユダヤ人”という定義が、宗教ではなく血統によって決められた。

祖父母のうち三人以上がユダヤ人なら、本人が何を信じていようと“ユダヤ人”。

つまり、科学的根拠を装った人種法です。


(彼はカードをもう一枚めくる。そこには赤インクで「血統」と書かれている。)


小林さん

(不安げに)

……でも、それって科学じゃなくないですか?

血の中に“民族”なんてないじゃないですか。


渡辺さん

(淡々と)

もちろん。

でも、当時の生物学や医学は「人種衛生(Rassenhygiene)」という学問を掲げていました。

遺伝学の初期段階で、「社会を清潔に保つために、遺伝的に“劣った”人間を減らすべきだ」と主張した。

――それが、科学者たちの“使命感”でした。


高橋さん

……“使命感”。嫌な言葉ね。

つまり、“良かれと思って”やったわけ?


渡辺さん

はい。

医者は「社会を治療する」と信じていました。

心理学者は「犯罪を未然に防ぐ」と信じていました。

統計学者は「劣悪遺伝率を下げる」と信じていました。


その結果、1939年から始まったのが「T4作戦」。

障害者や精神疾患患者を“安楽死”という名で殺害するプログラムです。

対象は約27万人。

医師のサイン一つで、命が“処分”された。


小林さん

(顔を青ざめさせて)

……じゃあ、病院が、殺す場所だったんですか?


渡辺さん

(静かに)

ええ。

白衣を着た人たちが、書類を片付けるように命を奪った。

そしてそれを支えたのが、統計とデータでした。

「国家の財政」「生産効率」「人口構成」――すべてが数字で“正義化”された。


高橋さん

……その理屈、今の社会でも聞くわね。

「非効率だから切る」「無駄を減らすために廃止する」。

言葉は違っても、同じ構造じゃない?


渡辺さん

(目を細める)

そう。

暴力はいつも“数式”の顔をして現れるんです。

ホロコーストも、Excelのような表で管理されていました。

輸送人数、収容所の収容効率、ガス消費量。

鉄道ダイヤに“人間”の数字が並んでいた。


小林さん

(震える声で)

……その数字、誰が見てたんですか?


渡辺さん

(トランプのカードを扇状に広げて)

みんなです。

鉄道職員は「輸送報告」として、医師は「病理解剖報告」として、

統計局は「国家衛生統計」として。

それぞれが“自分の仕事”をしていただけ。

でも、それが合わさると、巨大な殺戮の方程式が完成した。


高橋さん

(低く呟く)

……つまり、“誰も悪人じゃなかった”のね。

それが一番怖いわ。


渡辺さん

(静かにカードを一枚ひっくり返す)

そう。

誰も悪人じゃないからこそ、止められなかった。

みんなが自分の“合理”を信じていた。


そして、法と科学が結婚したとき、倫理は孤児になった。


(沈黙。外では雨が風に変わり、ガラスが小さく震える。)


小林さん

(俯きながら)

……渡辺さん。

私たちが今、“科学的に正しい”と思ってることも、

いつか、同じように使われる可能性って……あるんですか?


渡辺さん

(やわらかく微笑み)

あります。

AIも、遺伝子編集も、アルゴリズムも、全部そうです。

「便利さ」や「公平性」の名で、差別を再設計できてしまう。

だからこそ、科学の隣に倫理を置くことを忘れちゃいけない。


(カードを束ねて、最後の一枚を取り出す。そこには黒いマーカーで大きく「心」と書かれている。)


高橋さん

……その“心”ってやつが、一番不確かなんだけどね。


渡辺さん

(微笑んで)

不確かだからこそ、唯一のセーフティなんです。

完全なシステムほど、人を殺すんですよ。


小林さん

(小さく頷きながら)

……じゃあ、次は“心が排除された社会”を見に行くってことですか?


渡辺さん

(静かにカードをポケットにしまい)

そうです。

次回は、“ゲットー”――

都市の中で人が“分類”される瞬間を、見ていきましょう。


(雨音が止み、窓の外に月が覗く。

三人の間には、沈黙の中にだけ流れる理解のようなものがあった。)

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