第112章 神の声と電波 ― 国民啓蒙・宣伝省の誕生(1933–1935)
接続開始。
——音が、広がる前に形を持っていた。
その形は、赤、黒、そして鉄の灰色。
1933年3月13日。
ベルリンの官庁街に、新しい建物が誕生する。
扉には長い銅製の文字――「国民啓蒙・宣伝省」。
ゲッベルスは、その扉を静かに押し開いた。
廊下は長く、壁にはまだ石膏の匂いが残っている。
歩くたびに靴音が反響し、まるで建物が呼吸しているようだった。
彼は心の中で呟いた。
「ここが、言葉が国家を統治するための心臓だ。」
机の上に配された部門図。
新聞、ラジオ、映画、演劇、音楽、美術、文学、教育、外国宣伝。
どの線も、最終的にはひとつの点に集約されている。
その点に、赤い丸が描かれている。
彼自身の座る椅子だ。
——Y装置:心拍86。呼吸リズム一定。瞳孔収縮。
この瞬間、彼は**国家の“声帯”**を手に入れた。
最初の演説は、宣伝省のホールで行われた。
壁一面に国旗、壇上に白い照明。
彼は静かにマイクの前に立ち、手を合わせるように言葉を探した。
「ドイツ国民よ、
この建物は、言葉が真実となる場所である。」
低い声、わずかな間、そして強調。
スピーカーから返る自分の声を、彼はまるで彫刻のように聞いた。
言葉が空気を震わせ、聴衆の呼吸が揃う。
音そのものが支配だった。
ラジオ部門を呼び寄せる。
机の上に、四角い装置。
金属の筐体と真空管。
「Volksempfänger(国民受信機)」——その名を口にしたとき、
彼の顔に薄い笑みが浮かんだ。
「神は天に、総統は電波に。」
その一言が、会議室の空気を凍らせた。
——Y装置反応:側頭葉活動上昇。感情的同調波出現。
全国に配布される廉価版ラジオ。
農村にも、工場にも、居間にも、同じ声が届く。
それはヒトラーの声であり、同時にゲッベルス自身の演出でもあった。
音波が国家の血流を流れる。
人々はニュースを聞き、笑い、涙し、信じる。
そしてその「信じる」という行為そのものが、彼の作品だった。
夜、執務室に戻る。
机には各地の新聞が積まれている。
「総統、国民に光を」
「新たなドイツの夜明け」
どの見出しも、彼の指示通りだった。
「見出しは祈りの形式であれ」
そう彼は命じていた。
記者が問う。「大臣、報道の自由は?」
彼は一瞬、目を細める。
「自由? それは秩序の中にある。
言葉は刀であり、刀は国家のものだ。」
1934年、彼はベルリン放送局の屋上に立っていた。
下にはスピーカー塔、遠くに人波。
風がコートをはためかせ、彼は電波塔を見上げた。
そこから無数の声が空へと放たれる。
彼はその瞬間を見て思った。
「これは祈りに似ている。」
信仰と服従の境界が、音の中で溶けていった。
——Y装置解析:脳幹活動低下、意識集中。
接続者は“音の神政”の中枢にいる。
同年、彼は映画局を統合した。
リーフェンシュタールの映像を見ながら呟く。
「光の秩序、群衆の美。これもまた言葉の延長だ。」
モンタージュは演説であり、映像は文体だった。
「ドイツは見る国ではない。感じる国だ。」
その理念のもと、全ての映画が“感情的同意”の儀式となった。
やがて夜。
執務室の照明を落とす。
壁際にある小さなラジオをつける。
ヒトラーの演説が流れる。
それを聞きながら、彼は椅子に深く沈んだ。
その声が自分の編集によって響いていることを知りながら、
同時に、その声の中に自分が吸い込まれていく感覚を覚えた。
——「私は語る者ではなく、語られる者になりつつある。」
その一文を、彼は夜明け前に日記へ記した。
外は薄明。
街の屋根の上をラジオの音が渡っていく。
老女がパンを焼く音、新聞配達の足音、汽車の汽笛。
その全てが、彼の設計した「朝の音響体系」の一部だった。
都市は彼の声で目覚め、国家は彼の文体で呼吸する。
接続終了。
最後の映像は、宣伝省の塔の上に立つ小さなアンテナ。
朝日が金属に反射し、白い光の線を引いた。
それはまるで、神の声が空へ昇っていくようだった